〜OBからの一筆啓上〜邦字紙報道と読者=吉田尚則(元パウリスタ・元ニッケイ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年7月13日付け

 コロニア記事の書き手から読み手に立場を変えて、もう7年が過ぎた。
 辞めた当初こそ、新聞社の厳しい財政状況が骨身にしみていたので、ミスの多さや突っ込みの足りない記事にも「年中記者不足、取材費不足だからなぁ」と、へんに理解心を示していた。
 しかし時が経るにしたがってフツーの読者と化し、紙面批判が増えだす。そうなるとヘタに記者経験があるだけに、やれ見出しの字数が多すぎるとか、記事は常用漢字の範囲内で書けなどと、つい重箱の隅まで突いてしまう。最近、少しは自戒しているがー。
 それにしても、このごろの紙面は冠婚葬祭や行事、イベント案内といった回覧板的記事が少し過剰ではないか。矮小化するコロニア社会にあっては、タウン紙的な回覧板化も一概には否定できないが、やはり新聞本来の使命は置き去りにしたくない。
 ブラジルの邦字紙は、戦前から一定数以上の読者を確保できていたため、ラ米諸国の邦字紙に比べ使命の追求という面でも恵まれてきた。読者数の少ない国の日系社会では、世の不正を暴こうにも限界がある。
 例えば、健筆を振るっていた或る邦字紙は日系公共機関に対し不正追及のキャンペーンを容赦なく展開したところ、たちまち広告主と読者のボイコットにあい、あっけなく廃刊に追い込まれてしまった。また米国の一地域では、地元総領事館への批判は一切ご法度だとも以前、聞いた。 
 多数の健全な読者に支えられてきたブラジルの邦字紙はその点、在外公館をはじめ文化、福祉、親睦団体の活動についても、公明正大に運営されているか厳正にチェックする機能を長年にわたって持ち続けることができた。
 戦前では、新聞の責務の一つである啓蒙性がいかんなく発揮され、団体運営や営農問題、家庭生活にいたるまで「邦人はかくあるべし」といった論調が紙面に横溢していた。戦後はさすがに啓蒙性は後退し、記事の迅速性や活字の娯楽性が前面に出てくる。
 しかし近年に至るとニュースは速さでTV、インターネットに先をゆずり、活字娯楽としての役割も書物に押され気味だ。邦字紙は次第に役目を見失ってゆくように感じられなくもないが、その役割を終えるのはむろんまだ早すぎる。
 異郷に身を置いていると、老いるにしたがい時に独り暗夜を行くような心もとなさを覚えてしまうことがある。このような老読者を前に邦字紙は、新聞紙に火をつけ松明と化すような使命感を持って、我々の足元を暖かく照らしてもらいたいのである。
 先年訪日した際、ポール・ゴーギャン展を鑑賞できる機会があった。後期印象派のこの巨匠は、大作「我々は何処から来たのか 我々とは何者か 我々は何処へ行くのか」を掲げて、鑑賞者に生きることの意味を問いかけていた。その場にしばらく立ちつくしてしまったが、美術館の外へ出てふと思った。実はこの問いかけは、我々移民が疼くような意識のもとで折に触れて発する自問であり、邦字紙こそがそれに応えるべき宿命を負っているのではないか、と。