盛り上がるクリチーバ日系=50年の歩みふり返る=日本舞踊は後世への財産=150年祭の主役を今教育=第2回

ニッケイ新聞 2011年7月20日付け

 昨年まで文協会長を6年間務めたクリチーバ出身の山脇譲二さん(69、三世)は半世紀前、すでにパラナ民族芸能祭の日本グループの司会をしていた。
 「最初は南パラナ民謡保存会と福島県人会支部で公演をやった。最初の10年間ぐらいは北パラナのアサイやロンドリーナ、南パラナのカストロなどから助っ人に来てもらったりした」とふり返る。23年前からようやく今の文協中心の体制で公演するようになった。その変化の原動力は、今公演でも中軸となった舞踊部の存在が大きい。
 ここで20年間に渡って毎月、一回も欠かさずにサンパウロ市から日本舞踊を教えに行っているのが花柳龍千多さん(70、北海道)だ。「10年ちょっと前までは1時間しか公演させてもらえなかった。だんだん内容が充実して、お客さんが増えてきたから今のように2時間になった」と龍千多さんは証言する。
 パラナ民族芸能祭ではポーランド系、イタリア系、ユダヤ系、ギリシャ系など13の国や民族から19団体が公演するが、9団体しか2時間枠を貰っていない。残り10団体は一晩に2団体が1時間ずつ公演する形だ。「一時間しかない時はすぐに次の団体が来るから楽屋を即刻引き払わなきゃいけないし、本番前の舞台稽古もじっくりできなかった」という。
 そして「クリチーバは熱の入れ方が違う。しかも仲が良い」と龍千多さんは賞賛した。今回はサンパウロ市から2人、アサイからも1人門下生が参加している。
 アサイ在住で6年前から龍千多さんに習っている多胡明美さん(たご、62、二世)はクリチーバ公演には3回目の参加だ。「すっかり日本舞踊が気に入りました。劇場も立派だし、この公演を楽しみにしています」と微笑む。今では毎月出聖して習っている。
 サンパウロ市から参加している串間和子さん(くしま、62、佐賀県)は「とってもやりがいがあります」という。龍千多さんに習い始めて1年半。夫が60歳で定年退職したのを機に、それまで住んでいたオーリーニョスから出聖し、悠々自適な生活を送る。
 クリチーバ在住の久保マリさん(旧姓=原、62、三世)の場合、最初は娘に5歳の時から日本舞踊を習わせていた。「子供からやってみたらと誘われて始めました」と笑う。パラナ連邦大学で歴史学教授を長いこと務めた久保さんらしく、「日本の良い所を残して、若い世代に伝えることが大事。子供に日本文化を学ばせることが、残してやれる〃財産〃です」と舞踊の役割を位置付けた。
 この子供世代の大半は17、18歳で大学受験の勉強が忙しくなると辞めていってしまう。「どの子もみんな凄い優秀なのよ、医者とか弁護士とかになっていくんだから」と龍千多さん。
 現在、クリチーバ日系が盛り上がっているパターンの底流には、定年退職した二世世代の参加がある。つまり子供の頃に日本文化を身につけた世代は、ブラジル社会の第一線で活躍した後、定年退職する頃には再び文協に戻ってくるに違いない。今10代の子供が定年退職する頃とは、すなわち移民150周年(2058年)前後だ。(続く、深沢正雪記者)

写真=龍千多さんの指導のもと、練習に励む門下生たち