盛り上がるクリチーバ日系=50年の歩みふり返る=百周年で再活性化に道=若者の自主性尊重が鍵=第4回

ニッケイ新聞 2011年7月22日付け

 ニプソンが創立した30年前は移民70周年の前後だ。この時代はコロニアが最も活気にあふれた頃であり、団体再編期でもあった。
 クリチーバ日伯文化福祉協会の大島裕一元役員(ゆういち、58、熊本)によれば、33年ほど前に50人ぐらいの若い二世が「ニッケイ」という団体を作った。活動は盛んだったが会館がなく、30年ほど前に立派な施設を持つ、一世が中心だった「ウベラーバ」と合併した。
 郊外にあるこの施設が現在、日系活動の中心になっている。野球、テニス、卓球、ゲートボール、体育館に加え、最近はプールに屋根をかけて室内化し、水泳教室も行なっている。ここで舞踊部をはじめ、和太鼓、YOSAKOIソーランも練習している。事務所には非日系の職員が常勤しており、スポーツクラブ然とした組織になっている。
 15年前に「ニッケイ」はセントロに所在する「文協」と合併し、現在の2大拠点体制になった。セントロには日本語モデル校や学生寮があり、地理的にも便利な場所にある。
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 百周年を3年後に控えた7年前、梶原カツユキさんらを中心に若葉太鼓が文協内に誕生した。新しい世代の若者参加がここから始まった。
 現在50人ものメンバーがおり、下は10歳から上は25歳まで、平均年齢は18という若者集団だ。毎月サンパウロ市から先生を呼んで教えてもらい、すでに20曲程度の持ち歌があるという。
 6年前から活動に参加し、現在リーダーを務める田中健三さん(けんぞう、19、三世)は、「叩いているのを見てカッコいいと思った。最初は見ているだけだったけど、試しに練習に参加してすっかりとりこになった」とふり返る。
 数年来、非日系の参加申し込みが増えてきた。「去年は20人ぐらいの初心者クラスの大半が非日系人だった。一般社会からの日本文化への感心の高まりを強く感じる」という。
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 若葉太鼓の中に6年前に誕生し、08年に分離独立したのが、若葉YOSAKOIソーランだ。山口マユミ、古川サトシ両人をリーダーに、メンバーは30人ほどおり、うち10人は非日系だ。
 今回披露した「記憶」を振り付けした山口けいこさん(21、四世)は、「5年前の最初の時、本当は和太鼓を見に来たんだけどそっちが休みで、YOSAKOIソーランがたまたま練習していた。面白そうだったのでそのまま続けている」と笑う。
 大学でダンスを教えている大貫ジゼリさん(おおぬき、26、三世)によれば、文協が主催する花祭り、移民祭り、春祭りの三大イベントの機会に一般向けに披露し、それを見て参加を申し込んでくる人が絶えないという。「マンガやアニメに興味を持って日本語教室に通い始め、次に和太鼓やYOSAKOIソーランという感じでどんどん入ってきますよ」という。
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 ここに共通しているのは、一般社会からの関心が高まれば、日本文化を持っている日系人であることに誇りが強まる、だから日系活動に参加する、という図式だ。
 そして、北パラナから流れ込んできた二世世代の子供である三世、四世が中心になった新しい日系活動が活発化している。理解のある親(二世)の温かい視線の下、伸びてきた新芽を大切に育てる回りの配慮にこそ、同地が盛り上がる原因があるのだろう。(続く、深沢正雪記者)

写真=若葉太鼓のみなさん(後列左から2人目が田中健三さん)(上)/若葉YOSAKOIソーランのみなさん