〜OBからの一筆啓上〜〃待ち遠しい〃死亡記事=小林大祐(元ニッケイ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年7月27日付け

 7月13日早朝、旅客機が落ちた。もしかすると、1年前だったかもしれない。レシフェ発ナタル経由モソロ行。16人が死亡した。その中のひとりが自分であったかもしれない。
 私は昨年モソロに住んでいた。当時も空港はあったが休眠状態だった。車で5時間を要する州都ナタルを訪ねる機会が結構あり、両市を結ぶ空路の開通を待望していた。
 ナタルまでの州道は雨期のあとは穴が目立つ。上下2車線でトラックが頻繁に往来する。着任早々、事故現場に遭遇した。白い女性の死体が熱された飴のように曲がった姿を目にした。
 以来、自動車での移動が怖かった。「早く飛んでくれないかね。上客になるのにね」。同僚との会話の中で3日に一度は話題に上った。
 結局、路線開通したのはナタルに引っ越してからのことであった。それを知ったときは「1年早ければなぁ」と大変残念に思った。
 しかし、乗り入れた旅客機はチェコ製で、同社の製造する10機に1機は欠陥があり、1981年以降毎年1回は航空事故を起こしている。今回の事故報道でそんな事情を知った。
 「死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやってくる」と言ったのは作家の山田風太郎だった。相当に警戒している自動車や飛行機の事故とかそういったものでは私の死はやって来ないのかもしれない。
 新聞では死亡記事を注意深く眺める。フォーリャ・デ・サンパウロ紙を宅配購読している。知名度にとらわれない人選が秀逸で待ち遠しい。人の死を待ち遠しいと書くのは不謹慎である。
 ただそれは淡々とした掌編のような味わいがある。通勤時間の読み物として楽しんでいる。私の朝は安寧の中に逝った人の人生とともに始まり、勇気をもらう。
 —バールで働き女手ひとつで育ててくれた母親を早くに失った。満足な治療を受けさせてやれなかった。それがクロヴィス・セキさんの人生を決めた。貧者を助けることに一生をささげようと。留学先の日本で針治療に出会い、帰国後サンパウロ市で診療院を開いた。65年の生涯を閉じるまで無料診察することも度々だった—
 私はここに、二世の方の良質な人生の典型をみた。レストラン「木下」の木下利雄さんの訃報も取り上げられていた。私が大好きだった〃キノシタのカレー〃にまつわる興味深いエピソードからその記事は始まっていた。
 前者の訃報は恐らく邦字紙では扱われず、後者のそれは伯字紙ほどの紙幅が割かれていなかったように思う。
 コロニアの新聞に死亡記事の充実を求めるのは私だけだろうか。「人は生まれて来る姿は一つだが、死んでゆくかたちはさまざまである」(山田風太郎)。
 人類最大の関心事を新聞は力を入れて報じないわけにはゆくまい。死は待ち遠しくないものである。だが、新聞の死亡記事は待ち遠しいと思わせたい。