「彼なくしてブラジル移民なし」=水野龍60年忌特別法要=遺族や笠戸丸子孫も参拝=毀誉褒貶ある生涯を追悼

ニッケイ新聞 2011年8月17日付け

 「こんなにたくさんお参りいただき、本当にありがたい」。水野龍60年忌が行われた14日、会場となったサンパウロ市の本門佛立宗日教寺(コレイア教伯教区長)の本堂には300人以上が集まり立って参拝する人までいる様子を見ながら、パラナ州クリチーバ市から駆けつけた息子の水野龍三郎さん(80、二世)は、そうしみじみと語った。正面右側には水野龍の遺影を祀った祭壇が作られ、老若男女が木魚を叩くように右手を膝に打ちつけながら口唱するお題目が、躍動感溢れる独特のリズムを刻みながら本堂に響きわたった。

 理想郷コロニア・アルボラーダの資金を集めるために水野龍は1940年にいったん帰国したが、ブラジルに戻る直前に真珠湾攻撃が起こり、そのまま〃日本篭城〃となった。それから10年間——50年5月、彼を慕うブラジルの龍翁会の募金によって旅費が集められ、ようやく飛行機で当地に戻った。それから1年余りたった51年8月14日、サンパウロ市で亡くなりピニェイロス墓地に埋葬された。享年92。龍三郎さんは「父は移民事業は失敗したと思って失意のうちに亡くなった」と証言する。
 それからちょうど60年目となった当日、水野龍の要請により第1回移民船で渡伯して当地に仏教を最初に広めた茨木日水師らが建立した日教寺では、水野の子孫が招かれ、笠戸丸移民の孫や県人会関係者が参加してこの法要が行われた。
 コレイア教区長は「移民にとって水野龍ほど重要な人物はいない。彼なくしてブラジル移民はいなかったからだ」と参拝者に意義を説き、龍三郎さん家族と、その兄の故・眞一さんの娘トモエさん家族らを前に呼び、龍三郎さんが代表して謝辞をのべた。
 続いて08年6月にNHKで放送された『その時、歴史が動いた』水野龍編の短縮版(ポ語字幕付き)が上映され、「共存共栄」の理想実現に生涯をかけつつも毀誉褒貶に富み、スケールの大きなその生き様に参拝者は思いを馳せた。
 代表者が焼香した後、車椅子姿の連邦警察捜査官・池田マリオ清高さん(66、三世)がマイクをにぎり、「今日は父の日であり、〃ブラジル移民の父〃水野を顕彰するのにこれほど相応しい日はない。こうしてみんなから思い出され、墓の中できっと平和のうちに眠っているに違いない」と語った。祖父・池田栄太郎さん(愛媛県)は笠戸丸移民としてサンマヌエル耕地に入耕した。
 栃木県人会の吉田繁副会長(79、栃木)=アチバイア在住=は「ブラジル移民を始めるという大事業を行った人であり、改めてその生涯にふれて感動した」との感想をのべた。
 妻の光江さんが水野と同じ高知県佐川町の出身だという松村滋樹さん(69、鹿児島県)は、「妻が実家に帰るたびに水野のことが話題に上るといいます。水野はとても身近な存在です」と前置きし、「彼がいなければ僕らもブラジルに来ることはなかった。僕ら移民自身が水野のことを意外と知らない。もっと思い出されるべき存在ではないでしょうか」と問いかけた。