コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年8月19日付け

 水野龍は後藤象二郎の紹介で妻を娶ったことは、連載の中で書いた。そこでアッと気づいた。後藤の娘・早苗と結婚したのは、三菱創立者の岩崎彌太郎の弟・彌之助。その岩崎彌太郎の長男・久彌が、1927年に個人出資でカンピーナス市に購入したのが東山農場だ。このような維新以来の人脈が当地にも反映されている▼調べていて分かったが、移民事業そのものにも三菱は深く関係する。というのも、岩崎彌太郎が創立した三菱商事と共に、三菱グループの源流企業をなす日本郵船会社が移民事業をやるために作った傍系企業が吉佐移民会社だからだ。この会社がオーストラリア方面の事業で忙しかったために、ブラジル移住を始めるに当たって作ったのが東洋移民会社だ。この会社が、水野率いる皇国殖民会社とそれが潰れた後を引き継いだ竹村殖民会社と競うように初期移民を運んだ▼昔から大商人だった三井や住友と違い、岩崎彌太郎は土佐藩の下級藩士に生まれた。身体一つで財閥を築き、上役だった後藤象二郎、板垣退助らと志を同じくし、その政治活動を裏から支えた人物でもある▼その岩崎久彌の長女美喜が、外交官・澤田廉三夫人だ。彼女が46歳の時に神奈川県大磯に混血児を預かるエリザベス・サンダース・ホームを開設し、65年にはパラー州トメアスー第2移住地に同第2ホームを建設した。そこに美喜自身まで移住する意志すらあったというから、当地とは所縁が深い▼後藤、岩崎ら土佐藩を基盤とする人脈に、福沢諭吉の国際的な視野、水野の実行力が合わさって初めてブラジル移民は生まれたのだ。(深)