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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年9月3日付け

 「どじょう宰相」の誕生で故・松下幸之助翁の凄さと偉さが、今更ながらによくわかる。紀州で生まれたけれども、親が事業に失敗したため小学校4年で大阪へ丁稚奉公。大阪電燈に勤務のときに工夫したソケットを製造販売するため町工場を立ちあげたのは23歳だった。その後、紆余曲折はあったが、世界の「松下電器(パナソニック)」をつくりあげ「商売の神さま」と敬愛され親しまれた▼だが—この94歳まで活躍した松下翁は「憂国の士」でもあり、倫理の大切さを説くために1946年にPHP研究所を設立しての出版も見落とせない。国家の経営は、巨額な貯蓄をし、その利殖で運営するという奇想天外な構想をぶち上げたり—「日本の繁栄は根がない繁栄」とずばり斬り込む鋭さには感服するしかない▼そして—85歳になると「松下政経塾」を設立する。私財70億円を投じた神奈川県茅ヶ崎の「塾」からは、これまでに約250人が卒業し、各界で頑張っている。「どじょう宰相」の野田佳彦首相は、ここの第一期生であり、確か自民党の逢沢一郎・国対委員長と同期なはずだし、「塾」の出身者には政界人が多く、今は38人の国会議員(衆議員31人、参議院7人)が重きをなしている▼松下翁は、「遊び」の方もかなり達者だったようながら100年余り仮設状態だった東京・浅草寺の雷門の建設費を寄付し、下町の情緒を彩る仲見世通りの活気を蘇らせた庶民派の「粋」を見せたのも素晴らしい。あの「松下塾」の新設から30年—やっと「野田内閣」が発足したのだから泉下の松下幸之助翁もきっと呵呵大笑しているに違いない。(遯)

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