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鳥取大留学生が灌漑庁長官に=セアラー出身のラモスさん=「私の経歴はあそこが原点」

ニッケイ新聞 2011年9月21日付け

 JICAを通して1990年に4ヵ月間、鳥取大学で研修をしたラモン・フラヴィオ・ゴメス・ロドリゲスさん(55、セアラー州)が、今年5月から灌漑庁長官に就任し、オーストラリア出張の途上、8月18日夜にサンパウロ市へ立ち寄ったことを受け、鳥取県人会役員ら約10人による歓迎祝賀会が東洋街の日本食レストランで行なわれた。ラモンさんは「私の経歴の中でも、最も大事なそれは鳥取大学留学だ」と挨拶し、当時県側の外国人留学生世話係りで、その後ブラジルに移住した金城(かなしろ)智子(のりこ)さんと20年ぶりに再開するなど感激の一夜を過ごした。

 「ノリコに逢えてよかった。日本では素晴らしい経験をさせてもらった。たどたどしい英語しかできなかった私をJICAは合格させてくれた。鳥取が私の人生で最初にして最大の国際体験だった。私の経歴は全てあそこから始まっているといっても過言ではない」。ラモンさんはうっすらと涙を浮かべながらそういって、金城さんとの再会を喜んだ。
 ラモンさんは鳥取大留学後、セアラー州の水利工学畑の公務員職を歩み、01年から同州水資源局長補佐となり、03年にはシーロ・ゴメス国家統合大臣(当時)の推薦で首都ブラジリアの国家統合省水資源局に移り、以来、中央政府で経歴を重ね、今年晴れて長官までになった。
 「こんばんは、鳥取大学のラモンです」と日本語でユーモラスに挨拶した長官は、「日本は全ての市民生活が秩序だって機能していたことに驚いた。成田空港に着いて、そこを出発するときまで、実に丁寧に世話をしてくれた。特にノリコさんの家に招待された経験は思い出深い。いろんな国からの留学生と知り合いになれた」と懐かしそうに語り、「今回の大震災では日本は大変な目に遭ったが、きっと復活すると確信する」と目に涙を浮かべながら締めくくった。
 日本留学時代の写真をわざわざ持参し、「鳥取の梨が懐かしい」などと県人会員に説明していた。
 この会のお膳立てをした平崎靖之さん(サンスイ社長補佐)が司会を担当、鳥取県人会の本橋幹久会長は「立派な方を歓迎できて光栄です」と挨拶し、末永正(ただし)第2副会長は県人会の活動内容を説明した。
 当時、JICAの関係団体JICEの海外研修管理員だった金城智子(のりこ)さんは、ラモンさんの翌年に来た日系人と96年に結婚し、当地に移住した。「いろんな国から来た人が宗教上の考え方の違いや文化の違いでぶつかった時に、いつも真ん中に入って修めてくれるのがラモンさんだった。とても信用の置ける素晴らしい人。20年ぶりにお会いしたが、こんなに偉い方になられているとはビックリした」と金城さんは話し、ラモンさんから見せられた当時の写真を指差しながら「いい時代だったわね」としみじみ話していた。
 当日は野村アウレリオサンパウロ市議から記念のプレートが贈られた。鳥取出身の東山研修生でビソウザ連邦大学元教授、松岡淳(きよし)さんもミナス州からこのために出聖し、「日本で研修された人がブラジル国家を支える人材になられたことを心から喜びたい」と語った。

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