スザノ福博村=「村を心のふるさとに」=入植80周年に約4百人=笑顔でさらなる発展願う

ニッケイ新聞 2011年10月4日付け

 『スザノ福博村入植80周年記念式典』が2日、スザノ市イペランジャ区の福博村会会館で開催された。記念事業として新装された会館には村の内外から約400人が参集。旧交を温め、同会の発展を願った。大浦文雄顧問は「この村を心の故郷にしたい」と話し、同地と出身者との結びつきを強める考えを明らかにした。

 同村の歴史は31年に福岡県出身の原田敬太、古賀貞敏・茂敏兄弟の入植で始まる。蔬菜作りに勤しむ一方で子弟教育にも心血を注ぎ、34年日本語学校、35年に日本人会を創立した。
 40年には日本人会解散、日語校閉鎖の憂き目に遭うものの、48年には原田氏を会長に現在の福博村会を創立した。
 最盛期の70年代は会員数1500人を超えたが、貯水湖建設のため村の土地が水没、都市集中化・出稼ぎ現象もともない離村者が続出した。
 現在は会員80家族290人で、婦人部、青年部、太鼓部を組織して文化活動を続けている。
 10時半から式典は開始。先亡者と東日本大震災犠牲者に一分間の黙祷が捧げられ、日伯両国歌を斉唱した。
 成田強在聖総領事館領事部長、木多喜八郎文協会長、菊地義治援協会長、森和弘汎スザノ文化体育農事協会会長、安部順二連邦下議、ヴァルメイロ・ピントスザノ市長代理など多くの来賓が出席した。
 上野ジョルジ会長は挨拶で「日本文化を忘れず継承することが先人への恩返し。90周年、100周年と続けていきたい」と述べた。
 かつて同村に住んでいた萩尾満元さん(79、福岡)が県庁からの文書を携え来伯。「日伯交流の橋渡し役として貢献してきた。福岡の誇りです」とのメッセージを読み上げた。
 続いて、村会発展に貢献した功労者19人を表彰。鏡開きが行われ、萩尾さんが乾杯の音頭を取り、昼食会が始まった。
 また、午後から行われた演芸会では村会会員が日本舞踊や太鼓、剣道などを披露した。
 「昔はもっと賑やかだったのよ」と振返る島田澄江さん(80、二世)は、47年に麻州から移って以来、同村で暮らす。
 近所に暮らす孫娘のユキミさん(17、四世)の太鼓演奏を聞きながら、「村の規模が小さくなっても、今まで暮らしてきた場所に家族といられることは嬉しい」と笑顔で話した。
 55年に同地で木工所を開き、70年に帰国した萩尾さんは23回目の来伯。当時家が隣だった壇定則さん(73、福岡)と10年ぶりの再会を果たした。
 「木工所は戦後移民の若者の溜まり場だった。よく酒を飲んだね」と壇さんが振返ると、「当時は『ジャポン・ノーヴォ』なんて言われて、一世と二世の仲が悪い時期もあった。それも村に勢いがあった証拠かな」と萩尾さんは往時を懐かしんだ。