日伯学園核に活性化図る=スザノ日本人入植90周年=5百人が笑顔で節目祝う=カンジド市長「日本移民なくして発展なし」

ニッケイ新聞 2011年10月18日付け

 スザノ日本移民入植90周年を祝う記念式典が16日、ACEAS(汎スザノ日伯文化体育農事協会、森和弘会長)会館で開かれた。連日続く雨の中での開催となったが、マルセロ・カンジドスザノ市長はじめ市関係者、ACEAS会員ら約500人が集まった。森会長は挨拶で、「06年に設立した日伯学園を核に会を発展させ、スポーツ活動を更に活発にしていきたい」と展望を明るく語った。

 式典は同市市議会の主催で行われ、大部一秋在聖総領事夫妻、飯星ワルテル下議、木多喜八郎文協会長ら来賓も訪れた。
 カンジド市長は、「日本移民の入植がなければ同市の発展はなかった」と賞賛、「日伯学園は教育モデル校として、同地のみならずブラジルにとっても意味あるもの」と功績を讃えた。
 続いて、同市の発展に貢献した功労者22人に同市から記念の楯が贈られた。楯を受け取った上野ジョルジACEAS前会長(62、二世)は、「来年はスザノ・石川県小松市の姉妹都市提携40周年を盛り上げたい」とさらなる日伯交流への抱負を語った。
 75歳以上を祝う敬老者表彰には約150人が訪れた。最高齢の杉本正さん(94、北海道)によるケーキカットの後、鏡割りが行われ昼食に移った。
 昼からはACEAS主催の演芸会があり、日伯学園生徒による和太鼓やYOSAKOIソーランのほか、日本舞踊、カラオケなどの余興が披露され、会場を盛り上げた。
 大和植民地から訪れた藤村隆次さん(76、二世)は51年に入植。「当時は市の中心部も小さかった。父親と泥道の続く山を切り開きました」と懐かしむ。現在は息子と二人で蔬菜作りにいそしむ。「日本人会は29家族と少ないが、ACEASでの活動が活発で賑やか」と喜ぶ。
 日伯学園創立時から校長を務める安楽恵子さん(62、北海道)は、「当初40人だった生徒は年々増加し、現在377人。半数以上が非日系で、『日系人が経営する学校なら安心』と評価も高い」と話し、「今後は高等部の設立を進めたい」と事業の拡大を課題に挙げた。
 94年から96年までACEAS会長を務めた武吉七郎さん(79、高知)は、「90年代はACEASの会員が減少、各植民地からの支援金も減り解散の危機があった。そんな時期に一世から二世・三世へと世代交代があり、日伯学園という大きな夢を掲げてくれた。今では運営も軌道に乗り、活動の中心となっている。10年後の百周年が楽しみです」と次世代に期待を寄せた。

スザノ〜日本人の歩み

 1921年に萩原、大島氏の2家族が入植し、茶葉と苺の栽培を営んだのが嚆矢。以来、サンパウロ市近郊という地の利を生かし、蔬菜作りを中心に近郊農業に励んできた。
 58年の日本移民50周年を節目に市内各地にあった24の日本人会をまとめたACEASを結成。野球や陸上などスポーツ活動を推進した。
 69年、初の日系人市長(宮平ペドロ、69〜73が誕生、コマツ、ミツトヨなど多くの日系企業が誘致され、同市の工業化を促した。
 90年代、デカセギブームなどで日系人口が減り、コロニアの力も衰退したが、5、60代の若い二世世代が学校建設の目標を掲げ、06年に小・中学部を擁する日伯学園が創立した。
 08年には市役所と共催で文化祭を開催、文化、経済の発展に存在感を示している。