【祝 福博村入植80周年】〝菌耕〟農業を実践=世界唯一の畑で中村勉さん

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け

 父中村常雄さん(福岡県出身、故人)は1932年ごろレジストロのセッテバーラスから福博村に移転、1942年に3男の勉さんが生まれた。最初は桃、ビワ、ブドウを作り、石橋初雄さん(故人)に習ってグラジオラスを栽培、石橋家に出荷していたが、グラジオラスが下火になり、1957年に野菜を作り始めた。その後1968年から2004年まで36年間、長兄の常糖(つねとう)さんと農業と兼業で野菜を売るフェイランテをした。
 2004年にフェイラの露天市場販売権を長男と末子に渡し、息子をはじめ、サッコロン(野菜市場)を経営する友人10店に卸すために専門に野菜作りを始めた。たまたま村内でシメジを栽培していた清水誠二さんからかす(粕)をもらい菌床として畑に入れたところよさそうだったので、シメジのビン栽培大手の林幸美さんに相談すると「畑を見たい」と言われ、菌床の使い方を1日かけて丁寧に教えてくれた。福博村で8年間日本語の教師を務めた妻の益江さん(二世)も興味を持って林さんの話を聞き、夫婦で野菜作りを始めた。林さんは3年したら結果が出ると言い、その後何度も中村さんの畑を見に来ては、いろいろと細かく指導してくれた。
 林さんの農法は「水要らず、肥料要らず、消毒要らず」という従来の農業常識をはるかに超えるものだった。毎年1度、日本へ講演旅行に行き、大学教授や農業の専門家に中村さんの畑を見に行くように勧め、視察団が日本から来るようになり、同時にピラシカバ大学、レジストロ、マスコミなどブラジル国内からも訪問客が来るようになった。
 野菜を植える前に、シメジを作った後のかす(おがくず、トウモロコシ、木の枝、枯れ草を細かく切ったもの)を菌床として入れる。菌が水分を呼び、あるいは水を合成し、深さ約1・5メートルの表層土が軟らかくなっているので、「真っ白い」根がまっすぐ下におりる。ニンジンなどの根菜は地中に深く入るので、頭を出して青くなることはない。土は堆肥を入れていないので、さらさら乾いた赤土のままである。従来の農業常識と違って連作を奨励する。連作によって、作物に合った共利共生すると考えられるバクテリアが増え、チリリッカほかイネ科の細長い雑草はほとんど生えなくなり、草取りが楽になる。わずかに生き残った円い葉の草は簡単に抜け、そのまま置いておくと枯れて、菌の餌になる。害虫は作物に付かずに、ほかの雑草に寄っていくようになるので、あぜの雑草は刈り取らずに残しておく。作物に施肥すると肥料気に引き寄せられて、害虫が野菜に付いてしまうのだという。中村さんの自然農法で育てた野菜を虫が食べると、その虫は死んでしまうという。動物同様に、健康な野菜には自分を守る免疫力と抵抗力が本来備わっているのだろう。
 中村さんの畑に入ると、有機農場特有の芳醇(ほうじゅん)な堆肥の香りはせずに、不思議なにおいがし、乾いたさわやかな赤土が生命力を感じさせる。自然のバイオリズム、生産力を利用した畑という意味で、林さんは「世界で唯一の畑」と絶賛する。砂のようにさらさらと乾いた赤土の畑に青々とした野菜が並び、別世界に来たような風景が広がる。畑の光景は、自然(菌)と人間が共同で制作した、今流行のインスタレーションアート(芸術表現のいち手法)そのものである。かんがいのための水道管など、前世紀に多用された人工的な農業設備はなく、あぜに害虫を引き寄せるために刈り取らずに残された雑草が適度に生えている。例えば、キャベツは周りの葉1枚には虫が食った跡があるが、玉の部分は無傷で、きれいに巻いている。畑に鉄棒を刺すと、1・5メートルまで楽に入る。堆肥の畑は30センチが限度である。菌で畑を耕す菌耕農法は、究極の地球砂漠化防止策となると期待される。