人的交流、ますます盛んに=新潟県人会創立55周年=3百人出席、盛大に開く=慶祝団21人が駆けつけ

ニッケイ新聞 2011年10月25日付け

 ブラジル新潟県人会(南雲良治会長、会員約100家族)は、「創立55周年記念式典」を23日、宮城県人会館で開いた。母県からは北島智子副知事、村松二郎県議会議長ら慶祝団21人が駆けつけたほか、会員や各県人会代表者など300人を超える参加者が晴れの日を盛大に祝った。

 式典には、北島副知事、村松議長のほか、新潟県海外移住家族会の石田茂雄事務局長、東京新潟県人会の川村敏夫会長、新潟日報社の星野悟常務取締役が出席した。
 先没者への黙祷後、南雲会長会長はあいさつのなかで、「会員相互の親睦はもちろん、県との交流の窓口として、人的交流を盛んに行っていきたい」と決意を語った。
 北島副知事は泉田裕彦県知事による「海外移住先における日系人社会の存在は国際関係において大きな財産。新潟の応援団、理解者として、これからも友好の架け橋に」との祝辞を読み上げた。
 続いて、80歳を迎える隈下英子、上村昌子さんの2会員に金杯が授与され、北島副知事から表彰状が手渡された。80歳以上の高齢者表彰では100歳の上村綾さんをはじめ17人の名前が呼み上げられた。
 高齢者代表として挨拶した唯一の創立会員、原沢和夫相談役(84)は、「中央メルカード近くにあった重田旅館で設立に立ち会ったのも私一人となった。55年を迎えられたことは嬉しい」と喜びを語った。
 また、南雲会長から文協、援協、県連の三団体へと寄付金が渡された。続けて、来賓と記念品が相互に贈られた。
 元県費留学生・研修生を代表して田尻アンドレアさん(31、三世)の日本語で謝辞を述べ、大きな拍手が送られた。
 来場者全員で新潟県民歌を合唱し閉会。昼食会では、日本舞踊などの余興もあった。
 清野カチエさん(83)は夫と娘3人で60年に来伯。モジ・ダス・クルーゼス市で養鶏を営んできた。「30過ぎて来たから今もポ語は苦手。テレビもNHKばかりだから、県人会に自然と惹かれ、催しではよく(地元銘菓の)笹団子を作ったりしました」と笑顔で懐かしんでいた。
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 1956年、サンパウロ市内で約30人の有志による親睦団体「越佐郷土会」が発足。60年に「新潟県人会」となる。
 「ブラジル新潟県人会」と改称した79年、会館が落成し、県費留学生制度が開始される。
 新潟県農業青年ブラジル派遣研修(89年)、二世母県訪問(90年)、ブラジル農業青年の母県研修(91年)が始まり、交流事業が盛んに。
 現在は年末のもちつき大会や県連『日本祭り』への参加ほか、会員を対象とした親睦イベントなどを行なっている。