エクアドル=移ろうキト日本人学校=(下)=学校は親との〃懸け橋〃

ニッケイ新聞 2011年10月28日付け

コロンビアで増える生徒

 一方、隣国コロンビアでは日本人学校の生徒が増えているという。エクアドルから事務所を撤退する分、コロンビアの駐在員を増やしているためだ。
 ボゴタ日本人学校の織田靖雄教頭によると、コロンビアでも日本人学校は教育省の認可はないが、現地校独自の判断で成績証明は認められるとのこと。2年にひとりくらいが中学を卒業して現地校へ進学する。そのための西語や英語の語彙の補充も行っているようだ。
 今年8月、そのボゴタ日本人学校から講師を招き、当校は視察を受けた。「通常の授業時間数の8分の1だと指摘された」と保護者は話す。「1年分の教科書を土曜日の2時間だけで進めているのだから帰国してからの心配は尽きない」。
 他にも講師の課題もある。教壇に立っているのはほとんどが教員資格や日本語教師経験を持たない、現地でスカウトされた日本人だ。西語留学生、JICAの派遣者などさまざまである。
 不足することも度々で、保護者が自分の子ども以外のクラスで教えることもある。「継続して教えてくれる先生が欲しいが、毎週土曜日を空けてくれる人は難しい」と根上校長はため息をつく。
 補習校で3年間講師をしている有山(ありやま)かなえさんは元保護者。娘たちは日本人学校と補習校で学んでいた。
 「日本で小学校低学年だけでも経験していると、漢字の書き順や読みは大抵問題なくできる。漢字の書き取りや作文が苦手になってしまうので意識している」と課題を挙げた。
 彼女がマンツーマンで教える田中美也子さんは6年生。補習校は4年目になる。辞書を引き引き作文を書いていた。
 休み時間を知らせる笛が鳴ると、子どもたちが廊下へ飛び出してくる。ほとんどの学年が一人ずつ。小学一年生から中学2年生まで一緒になって遊ぶ。教室のドアに昔ながらの仕掛けをしたり、外廊下をスケートボードで駆け抜けたりと、少人数ながら静かな校舎を生き生きと光らせるパワーがある。

赤字の経営、役割新たに

 学校の管理費は年間6千ドル。日本政府の補助と月謝を合わせても赤字続きだという。「いったん打ち切られると補助の再開は難しい。冗談で5歳の子を繰り上げ入学させようという年もあった」と校長は苦笑する。
 日本語補習校の入学に該当する児童・生徒はほかにも数人いるが、別の習い事や用事で入学には至らない。
 89年に発行された創立十周年記念誌「ミタ・デル・ムンド」には、新校舎設立後の夢いっぱいの言葉が並んでいる。
 帰国した転校生や元教師が地球の裏側の母校を懐かしむ声、在校生が毎年の別れを惜しむ声、そして学校創立に取り組んだ保護者である企業駐在員たちの苦労と将来への希望。
 しかし無情にも世界経済に翻弄され、またグローバル化による英語志向が増え、世界各地の日本人学校や日本語補習校が年々閉校に追い込まれている。
 「校舎に関してはそんなに執着はないんです」。バブルの遺産のような校舎がもったいないと思わず口に出しかけると、日本人学校出身で現在補習校の一年生を娘が通わせる高橋直さんはこう語った。
 「日本人学校がなくなってしまったというショックはまだ癒えていません。ですが、私には唯一の学校だったけど、娘にとってはもうひとつの学校。この違いを受け入れたらどんな場所でも日本語が受け継がれていけるだけで充分だと思えます」。
 海外に暮らす親たちにとっては、子どもにどうやって母語を学ばせるかというのは尽きない悩みだ。「学校は親との懸け橋です」と直さんは言う。
 「日本人学校のお陰でわたしは両親と同じ言語が話せ、落語で笑えるんです」。その言葉には説得力がある。
 学校は常に、そのときの子どもと親のためにある。この学校が歩んできた道がどうだったか、誰かが考えたり決めたりすることではない。
 絶え間ない出会いと別れの場となってきたキト日本人学校・補習校は、その数だけ親子の絆を繋いできた。場所が変わっても、生徒数が減ってもこれは変わらないだろう。
 強い日光が染みるレンガの校舎は、静かにそれ見守っている。(おわり、秋山郁美通信員)

写真=ラジオ体操をするたち