在聖総領事館=31人が百歳バンザイ!=公邸でさらなる長寿願う=7人が元気な姿見せる

ニッケイ新聞 2011年11月8日付け

 日本政府の2011年度の百歳表彰伝達式が1日、モルンビー区の在サンパウロ日本国総領事館公邸で行われた。管内該当者は男性12人、女性19人の計31人。受賞者7人が元気な姿で家族と共に出席し、7人が代理出席、約40人がさらなる長寿を願った。大部一秋総領事はあいさつで「住み慣れた日本を後にし、新天地で凛として風雪にたえた皆さんの姿が多くの子弟、後継者を育てた」と功績を労った。

 大部総領事から内閣総理大臣の祝状、栄子夫人から記念品の伝達が行われた。受賞者の名が読まれると、一人で歩く人、家族に付き添われて歩く人と様々。喜びのあまり祝状を読む人もいた。
 「神様がマンダせんからまだ生きてます」と豪快に笑うのは久山吉明(吉の上が土)さん(岡山)。杖をつきながらも、しっかりとした足取りで受け取った。
 邦字紙と地域紙を読むのが日課で大の釣り好きだという。1930年にカフェランジャに兄夫婦と入植、一年後にビリグイに移った。
 40年に帰国し結婚、再来伯後はスザノで暮らし、養鶏、レンガ製造など様々な職を経験した。
 「90歳までは朝3時に井戸水をかぶって目を覚まし、20キロ歩き、縄跳び200回をこなしていた」との鉄人ぶり。今は8人の子供と16人の孫、3人のひ孫に囲まれて過ごす。
 付き添った長男パウロさん(70)と長女トモエさん(66)は「健康でいてくれることが一番」と笑顔を見せた。
 「23年の関東大震災で家が焼けた。『ブラジルがいい』と聞いた親が移住を決意しました」と話すのは佐々木幸さん(神奈川)。29年にモジアナ線ブロドスキーに入植、家族6人でカフェ栽培に勤しんだ。
 33年に結婚しサンパウロ市近郊のマイリポランに移り住み養鶏を始め、夫が亡くなる76年まで続けた。現在子供7人、孫11人、ひ孫4人。一緒に住む末娘のエミリアさん(60)は「母は私より健康。買物に行く時は鼻歌も多いです」とお達者ぶりを語る。
 趣味は震災前に通った学校で覚えたオルガン。一日一時間は鍵盤の前に座るという。「毎年欠かさず正月と母の日、お盆には家族皆が集まる。これが一番の幸せ」と穏やかな笑顔を見せた。
 各家族で記念撮影をした後、毛利氏が乾杯の音頭をとると、出席者は食事に箸を進めながら歓談を楽しんでいた。