高拓生80周年=(1)=歴史を後世に伝えたい=州議会が正式に謝罪=感慨深い表情の遺族ら=高拓会の働きかけ実る

ニッケイ新聞 2011年11月12日付け

 【マナウス=児島阿佐美記者】アマゾン開拓の夢を抱いて渡伯した日本高等拓殖学校卒業生(高拓生)の初入植から今年で80年。内輪だけで節目を祝ってきた高拓生の多くは逝去した。先月25日、二世らでつくるアマゾン高拓会(佐藤ヴァルジール会長)の働きかけにより、州議会での正式謝罪(先月28日付け本紙7面)がなされ、高拓生らの貢献に光があたった歴史的な日、マナウス市であったミサ、祝賀会でそれぞれの思いを聞いた。

 ゴム産業が衰退していた当時、アマゾナス州は百万ヘクタールの土地の無償譲渡と引き換えに日本人移住者の受け入れを図った。
 1930年、〃アマゾン開拓の父〃故上塚司はパリンチンス市下流をヴィラ・アマゾニアと命名し、アマゾニア産業研究所を建設。
 続いて、開拓の人材育成のため国士館高等拓殖学校(後に日本高等拓殖学校)を設立した。
 1931年〜37年まで卒業生248人が来伯、1年間の農業実習訓練後に開拓に携わった。
 2回生尾山萬馬の父良太が優良種を発見したことで、ジュートは一大産業に成長、アマゾン経済を支えた。
 しかし、第2次世界大戦による日伯両国の国交断絶で同社および資産は接収され、一部の高拓生は拘留あるいは迫害を受け、四散していった。
 現在、生存している高拓生は同市在住の東海林善之進さん、千葉守さん、パラー州在住の清水耕治さんの3人のみとなっている。
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 朝8時、晴天に恵まれ日差しが照りつける中、ノッサ・セニョーラ・デ・ナザレ教会に高拓生の子孫や未亡人ら85人が集った。
 参加者らは高拓生の歴史を織り込んだ賛美歌を声高く歌い上げ、物故者に哀悼の意を捧げた。
 ルイス・ヴィエイラ牧師は「家族や国と別れ、戦中の苦難に耐えた高拓生の強さや忍耐は忘れ去られてはいけない」と子孫らの想いを汲み取るように話し、参加者は真剣な面持ちを見せていた。
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 「今回のことは一生の思い出になる」。アマゾナス州議会では、同州政府による正式謝罪を受けて東海林善之進さんは壇上で感慨深げに話した。
 高拓会は、パリチンス出身で親日家のトニー・メディロス州議を通して州政府に謝罪および、高拓生の歴史的意義を認めることを要求していた。 トニー州議は「経済危機の時代に、ジュート栽培によりブラジルに富をもたらした高拓生の歴史が、今日からアマゾンの住民に広く知られる」と力を込めた。
 加えて、公立校で高拓生の歴史を教える法案が発表され、同日25日が「絆の日」と制定された。
 高拓会のメンバーらは満足や感慨深い表情を浮かべ、歴史的瞬間をかみ締め、千葉守さんの孫ワルテルさんは「祖父だけではなく、高拓生全員に頂いたものだ」と喜びを噛み締めた。(つづく)