県連移民のふるさと巡り=ガウチョの国に友訪ねて=亜国、ウルグアイ編=(8)=アンデス眺め美食楽しむ=メンドーサの長野県人らと

ニッケイ新聞 2011年11月15日付け

 4日目の10月9日早朝、一行は飛行機でアンデス山麓の都市メンドーサに到着した。空港を出るとアンデスの山々が遠くに広がっていた。バスで市内へ向かい、きれいに整ったブドウ畑を車外に眺めているとワイナリー「Bodega Los Tonelos」に到着した。
 亜国のワイン生産量は世界第5位で、メンドーサ州は国内生産の約7割を占めるワインの生産地だ。近年では高品質な高級ワインが生産されており、全世界に輸出されているという。
 まずは昼食、前評判通りの赤ワインとともにアサード(牛の丸焼き)やチーズ、モルタデーラ、サラダに舌鼓を打ち、一行はご満悦の様子だ。頬をほんのり赤く染めた参加者もちらほら。食事の後はワイン製造工程を見学した。
 夜の交流会では、同地在住30年の中塚幸一さん(73、神奈川)、28年に18歳で来亜した戦前移民で、長野県出身の竹村ジョウシチ氏の息子、マサル氏(故人)の妻、竹村サラさん(スペイン系、73)、娘のソニアさん(三世、44)、姪のエマさん(三世、23)4人の話をホテルで聞いた。
 親族の話によるとジョウシチ氏はブエノスアイレス港に到着した後、メンドーサへ移った。35年に日本人イトウ・サキさんと亜国で結婚し、3人の子供に恵まれた。
 孫にあたるソニアさんは群馬県太田市で数十年働いた経験があり、現在はメンドーサに住む。
 中塚さんによると同地にも一定数の日本人がおり、長野県出身者が多い。実数は不明だが、二〜三世が中心だという。参加者一行の長野県出身者である春日洋呉さん(75)、和美さん(71)夫妻、宮原昭二さん(74)、小山徳さん(72)らが集まり、自己紹介をしながら歓談を楽しんでいた。
 中塚さんは58年、20歳で農業技術移住者として亜国へ渡った。同船者約一千人のうちベレンで数百人が降り、ブエノスアイレス港に降り立ったのは12人だった。
 その後単独青年を対象に67年、ブエノスアイレス州モレーノ地区に開設された「エスペランサ移住地」に入った。
 しかし当時30代だった中塚さんの中に、「若者が花作りなんかしている場合ではない」という思いが募り始め、意思を同じくした数人で会社を立ち上げた。が、わずか2年で閉鎖に至った。
 「在亜日本人会」会長を長年務めた宇野文平氏と知り合い、彼が経営する会社の一つに所属する形で4〜5年働いたが、宇野氏とは結局決裂する形で終わった。
 その後、通算20年花卉栽培に従事し、74年までエスペランサ移住地で過ごした中塚さんは、商売に本腰を入れるべくメンドーサへ移った。
 子どもの頃から習っていた指圧で、近所の人をボランティアでマッサージをする傍ら、75年、ブラジルでは当時生産されていなかったにんにくを亜国から輸出する会社を立ち上げ、83年まで経営した。従業員は200〜300人。収穫期にあたる11〜12月が繁忙期。農家と契約し、根と茎を切って洗い選別、箱に詰めるという作業に季節労働者を多数雇った。
 その大半をブラジルへ輸出し、10キロ1箱を40〜50ドルで、良いときは70ドルで取引した。
 「82年頃から中国産のにんにくがパラグアイ経由でブラジルに密輸されるようになって…。見切りをつけました。それまでは良かったんですがね」と中塚さんは目を細めた。(つづく、田中詩穂記者)

写真=中塚さん、竹村氏子孫の皆さん、長野県出身者の皆さん