第41回山本喜誉司賞=農業人生に夢と誇り持ち=興梠、竹原、中隈3氏に

ニッケイ新聞 2011年12月2日付け

 農業分野の貢献者に与えられる山本喜誉司賞(近藤四郎選考委員長)の『第41回受賞式典』が先月25日午後7時から、リベルダーデ区の文協ビル貴賓室で執り行われた。今回の受賞者は興梠太平氏(76、宮崎)、竹原祐貞氏(72、同)、中隈ジョージ氏(71、二世)の三氏。今回2つ以上の団体の推薦を受けた7人、昨年の選考からもれた3人の計10人の中から選考された。家族や知人、関係者約90人が晴れの姿を見ようと駆けつけ祝福した。

 「私一人での受賞ではありません」と話す興梠氏は、59年に南米産業開発青年隊4期生として渡伯。71年に妻アイデさんの兄が日本人5人とミナス州モンテ・カルメロ市に入植したのに続き、77年にセラード開発に関わった。
 大型コーヒー収穫機による季節労働者の削減、今日では同地の8割が利用する灌漑設備の早期挿入などで経営を合理化した。
 「仲間うちで〃七人の侍〃と自称した。今は2人しか生きていないですが、全員の名誉として賞を頂く」と語った。
 青年隊初の受賞者となったことから、隊員ら約10人が祝福に訪れた。同期生の菊地義治援協会長は「同じ釜の飯を食べた同志の受賞。自分のことのように嬉しい」と喜びを語った。
 竹原氏は受賞について「信じられなかった。栄誉ある賞を頂けて光栄です」と驚きを語った。9人兄弟の四男。「ブラジルでの農業に夢を抱いて」と外務省農業移住研修生の第2期生として来伯した。
 入植したサンパウロ州アルバレス・マッシャードのパトロンと共に南麻州ナビライ市へ移った。原始林開拓から始まった同地での不耕起栽培は除草剤の改良も手伝い軌道に乗り、2千ヘクタールの大規模畑作に発展した。
 現在は、ブラジル国際農友会の実習生だった息子ネルソン氏と等高線栽培や緑肥を伴う輪作に励むなど工夫に努める。
 「講習会につとめて参加し、すぐに試す。柔軟な気持ちでないと農業はできない。今後は灌漑設備を導入する予定で、夢はまだ続く」と朗らかに語った。
 アラサツーバ市出身の中隈氏は大学卒業後、歯科医として勤務したが「時間に縛られる仕事は好きじゃない」と異例の転進、アンドラジーナにある父豊氏の農牧場に戻った。
 肉牛のネローレ種を先駆的に導入、40年に渡り品種改良に取り組み、良質な種牛や交配用の精液を安価で配給した。またアンドラジーナ農牧畜業展覧会を創始し、育牛から販売までの仕組みを整えるなど牧畜会発展に貢献した。
 アンドラジーナ大学獣医学部の創立理事として、毎年農場で研修生を受け入れ、講習会を開いている。「父は愚痴を一つもこぼさず、自分の財を築くことなど考えていなかった。そんな尊敬する父を追いかけていたから貰えたのかもしれません」と話した。