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日系社会がなくなる?!=人文研年表の編集終えた雑感=ニッケイ新聞元編集局社会部長 神田 大民

新年特集号

ニッケイ新聞 2012年1月1日付け

 去る1月から10月まで、人文研(サンパウロ人文科学研究所)の『日本移民・日系社会史年表』増補版(1996年〜2010年)の編集作業をさせていただいた。1995年まではすでに刊行され、実用に供されており、そのあとの分を担ったのである。作業を通じ感じたのは、日本人移民子孫の日系人意識がより希薄になっているのではないか、という点である。裏づけ材料がない、単なる雑感だ。
 年表編集対象の15年間は、ブラジルにおける日本移民百年の終わりのほう、百分の十五にあたる時期であった。日本移民の先人たちが想像できなかったほどに、子孫たちの生活が激変した時期である。
 戦前、戦後のブラジルへの日本移民総数をはるかにしのぐ30万人を超える子孫たちが、就労のため日本へ渡航した。渡航は、1996年以前から行われていたが、その総数がピークに達したのは、この15年間においてである。
 「日本に一大社会が形成された」という表現もある。意地悪い言い方をすれば、構成員の30万人がそれぞれ「自分は日系人だ」という意識があれば、その表現は当たっているといえよう。そうでなければ、「社会ではない」と筆者は思う。バラバラな個々である。
 たとえば、NHKテレビでときどき報道される「日本におけるブラジル人」に登場するブラジル人の顔のほとんどは、日系人には見えない。そのことが日系人と関係があるのかどうか定かではないが、いい意味(自分は何者でもない、ブラジル人だ、という自信と誇り)も含めて、日系人意識はきわめて希薄であろう、と察せられる。これは偏見に満ちた独断だ、といわれるかもしれない。

 激増したデカセギ少年犯罪と不足した子女教育

 さて、先人たちが想像もできなかった(と思われる)激変、というのは、日本における二つの不幸である。一つは犯罪への関与、なかんづく少年たちの非行を通り越した犯罪、もう一つは子女教育の不本意な不徹底である。不幸は、30万人に降りかかった、というか、引き寄せたというべきか、どちらともいえない。
 その実態について、ここではくわしく書かないが、日本の当局の発表した数字だけをみれば、ブラジル人少年犯罪件数が、中国人をしのぎ、在日外国人のダントツ一位と記録された年もあった。犯罪の原因は不就学であることがはっきりしている。学校に行っていないため、時間をもてあまし、犯罪に奔ったのだ。成人の犯罪件数も常に上位である。
 少年たちの犯罪関与と不就学の社会事象は、〃一体〃であり、その根っこは、親が子を就学させようとする意欲の欠如と、低収入あるいは失業による無収入のせいだ。
 日本の教育行政当局は、少なくとも公立学校の門戸を開けているし、親と子女の意欲、特に親にそれがあれば、就学はかなう。しかし、学習についていけないという理由で、不登校になる。これを、「やむをえない」と容認しても、次の手段として、日本語、ポ語のどちらかが中心の補習の道を開けば、事情は少し違ったかもしれない。
 もちろん、親たちは手をこまねいておらず、その道を開いた。だが、日本の各地域にそうした教育施設の絶対数が足りず、また費用の面で、在日ブラジル人子女のすべてを拾い上げるには至らなかった。少なくない落ちこぼれが、犯罪に向かった。
 諸先輩が編集した先の年表(対象年は、笠戸丸以前から1995年まで)には、日系人犯罪に関する記述はごく少ない。よくいわれるが、犯罪に関与したとすれば、被害者として、というケースが多く、日本就労が急増するまでは、もちろん外国へ出掛けて殺人をするなど、なかったし、考えられなかった。
 日本就労に出掛けた人たちの子女教育に対する姿勢には、所得の比較的いい層は別として、どうみても行き届かないところがあった。

 教育意欲旺盛な戦前移民

 ここで、比較されるのが、特に戦前の移民たちの行動、行為だ。入植したところに「まずは日本語学校を建てよう」とした意思、その実行である。これを、現代の日本在住の親たちと比較するには確かに無理がある。時代、社会の背景が違い過ぎる。ただ、戦前の親たちの「錦衣帰郷の気持ち」と、日本就労の親たちの「できるだけ短期間働いてお金を稼ぐ」といった、それぞれの渡航動機にさほどの差異はない。
 子女教育は、定住にしろ、永住にしろ、3年間くらいの就労にしろ、必ず行なわなければならないし、ポ語中心か、日本語か、焦点を定め、学習させるべきなのである。
 日本就労は、世界規模の経済変動による失業や自然災害によって帰国した人たちは別にして、なお依然として続いており、二十数万のブラジル人が滞日中である。子女教育がその後充実したか、についてはいい話を聞かないし、犯罪関与もあとを断たない。先人たちの想像を絶する(と思われる)社会事象はなお続いているとみていい。

 百周年で在日伯人は蚊帳の外だったのか

 年表対象年の、日本移民百年のうちの最後の十五年の中に「日本移民百周年記念祭典」(2008年)開催があった。日本では特にメディア、日本政府関連機関のそれがめざましかった。
 この祭典に際し、「日本在住ブラジル人は、祭典の蚊帳の外に置かれている」という論評があった。ブラジル全日系のおよそ五分の一に相当する人たちが日本に居るにもかかわらず、ブラジル側も日本側もその存在にあまり顧慮していない、というほどの意味である。
 在日ブラジル人の日常の生活状況がきびしく、百周年を祝うどころではない、という現実はあった。これは、事実といっていいだろう。ただ、ブラジル人たちが、蚊帳の外に置かれたのか、自身が置いたのかについては、判じかねる。これは、ブラジル人自身の意識の問題だからだ。ブラジル人集住地域の一部に、百周年に祝意を表し、記念するイベントがあったようだが、まとまったアクションは見られなかった。
 これは「日本移民がブラジルに渡航後百年を迎えた」という画期的な年のことを知って、それをどう受け取ったか、にかかっていた。ハナから知らずに、あるいは知っていても無関心だったのかもしれない。同じことは、ブラジル在住者にもいえる。
 筆者は、百周年祭典が、どれくらいの割合でその意義が在日ブラジル人個々に浸透していたかに関して、数字では表せないが、そんなに高くはなかったろうと、今でも思っている。
 さきごろ、日本から若いブラジル研究者が「日系人のブラジル社会への同化」を研究テーマに来伯したという話をまた聞きした。というのは、日本人がブラジルに融け込むことだとしているが、日本人の子孫は生まれながらのブラジル人なのだから、同化うんぬんは無意味だ。日本の研究者の(そう思っていなかった)思い込みはともかく、日系三世、四世ともなれば、自身の日系人意識はますます薄れているのが自然で現実的だ。だから、日本において、移民百周年に際して、さほど関心が寄せられなかったとしても、うなづけるのである。

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