カッペンで両親亡くなる=「第5陣来なくていい」


新年特集号

ニッケイ新聞 2012年1月1日付け

 七夕祭り2日目の10月1日は、60年にカッペン植民地へ第4次隊として入植した沖縄県読谷村出身の山内義寿さん、真寿さんが家族とともに訪れていた。同地には56年の第1次隊を皮切りに第4次隊まで沖縄出身の移住者が送られた。
 2人は一家12人で「大きな土地を求めて」入植した。「当時日本はまだ戦後復興していなかった。稼動者一人に50ヘクタールもらえるという話を聞いたんだ」。
 ところが「ゴムやピメンタを植えに来たが、土壌は酸性。大豆も米も全くできなかった」。悪性マラリアや黄熱病が蔓延し、医者も薬もなく手の施しようがないまま両親が亡くなった。義寿さんは「日本に第5陣は来る必要ないと伝えた。移住協会は野菜が大きく育った写真を見せてだましているとね」と振り返る。
 2年間カッペンに居たものの見切りをつけ、来伯4年目に「金がないからクイアバに来た」という2人。義寿さんはリオ・フェーロに植えられた10万本のゴムの木を購入し、サンパウロ市から野菜や果物を仕入れて商店を、真寿さんはブラジル料理のレストランをそれぞれ経営した。義寿さんは日本人会副会長を務め、会長の尾崎さんと会の運営にあたった時期もある。
 「30年前の会長と副会長だな」と2人は再会を喜び合い、尾崎さんは「今度は、リオ・フェーロとカッペンの元入植者で集まってフェスタをやろう」と話していた。