ナザレ・パウリスタ=文協創立45年式典=67年の組合解散を機に=80人が往時懐かしみ=総領事夫妻もお祝いに

ニッケイ新聞 2012年1月7日付け

 アチバイア近郊のボン・ジェズス・ドス・ペルドンイス市にあるナザレ・パウリスタ文化体育協会(猫塚司会長、会員42家族)の創立45周年を祝う記念式典が12月27日、同会館で開かれた。近隣のカネードス、ナザレ・パウリスタ、ピラカイアから会員が集まり、祝福に訪れた在サンパウロ日本国総領事の大部一秋総領事夫妻とともに約80人で賑やかな一日を過ごした。

 複数の人造湖があり風光明媚な避暑地として知られる同地には、戦前から日本移民が入植した。
 1936年、コチア産業組合で専務理事を務めた故・下元健吉氏が馬鈴薯の種芋栽培のため土地を購入。その後、組合員が続々と入植しバタタの一大産地を築いた。
 43年にはGTC(ナザレ共同出荷組合)が設立され、日本語学校が文化協会の役割を担っていたが、67年にGTCを発展的に解消させる形で文協が正式に創立された。
 76年に現会館を落成、野球場も同年に造成された。スポーツが盛んで、終戦直後の45年9月に相撲大会を開催、47年には野球チームを創設し、今でも活動を続けている。
 年間行事では、運動会のほか、うどん祭り、ヤキソバ祭りを開催、婦人会、青年会と協力している。
 現在はレタスなどの蔬菜作りや花卉、果樹栽培が主産物となっている。
 式典では、総領事の来訪は文協創立以来初とあって、出席者は感激した様子を見せた。
 総領事来訪にあわせて急きょ開催が決まったこともあり、功労者表彰などはなかったが、参加者は同会婦人部による料理を食べながら談笑した。
 大部総領事は参加者から話を聞き「今は湖になっている場所がバタタの産地だったことに驚いた。やはり歴史は訪れてみないと分からないですね」と感想を語っていた。
 ケーキカットがあり、万歳三唱。余興では婦人部の日本舞踊が演じられたほか、栄子総領事夫人が歌を披露し、皆で盆踊りを踊った。会場は大いに盛り上がり、夕方に散会した。
 猫塚会長は「総領事と共に祝えたことは光栄。会員の高齢化は避けられないが、50周年に向け婦人会や青年会、近隣文協と団結していきたい」と話した。