特別寄稿=望郷阿呆列車=ニッケイ新聞OB会員 吉田尚則=(3)=鈍行もまた楽し

ニッケイ新聞 2012年1月19日付け

 昨今、鈍行という俗語はあまり使われない。つまり普通列車であり、ついでにいえば急行のほうもほとんど消え、もっぱら「快速」が近距離区間をお得意先に走り回っている。
 ただし花輪線は、鈍行という言葉の響きこそ似つかわしい。ディーゼルカー(気動車)で通常2両編成、たまには1両だけでコトコトと田舎路を寂しげに走っている。ボディカラーも若草色をさらに薄めたような地味系。
 JRのテーマカラーだそうだが、愛称の「四季彩ライン」が醸す華やかなイメージとはどうもそぐわない。秋田県民気質を色で表現したような印象すらもたれる。
 花輪線の好摩—大館107キロ間には27駅がある。全国の他のローカル線同様、ここも赤字路線らしい。日中の車内はいつもガラ空き状態で、車窓に広がるのどかな田園風景といかにも調和がとれているのである。
 もちろんJRとしては経費節減に怠りなく、たとえば区間27駅中20駅までは無人駅だ。駅舎は公園のベンチに屋根をかぶせたほどの構えで、汽車が停まっても降りる人とてない。
 ともかく1日午後、その花輪駅から乗車。汽車は奥羽本線大館駅までの40キロを、1時間ほどかけて「ケタタントントン、ケタタントントン」と、リズミカルに走った。
 この擬音語、実は阿川テイトクの『南蛮阿房列車』からの借用である。万国共通の車輪音だとテイトクは言いつつ同じ著書の中で、メキシコ国鉄寝台特急に乗った時は「カタケチャトントン、カタケチャトントン」と言い表している。
 また名高いオリエント急行は「カタリンコトン、カタリンコトン」だし、欧州モザイク特急では「轣々鏗々(レキレキコーコー)」と、快く鳴り響いたと述べている。
 レキレキコーコーなどという熟語は聞いたこともない。辞書には、轣々が「石ころの道を車の走り響く音」で、鏗々のほうは「金石のぶつかり合う音」とある。
 単語の意味は分かったとして、熟語のほうは誰も知らなかった。滞日中に、全21巻という日本随一収録規模を持つ『日本国語大辞典』(小学館刊)を引っ張り出して引いてみたが、載っていなかった。テイトクの造語か、などと浅学のわたしは考える。辞典の持ち主は、阿川先生も衒学趣味が過ぎるのでは、と負け惜しみを言った。
 ゲンガク趣味はともかくとして、レキレキコーコーの語感はさすがだ。疾駆する新幹線なんかにはぴったりの表現ではないか。これも後でこっそり拝借しよう。
 ところで花輪線に限らず、秋田県内の列車は一般にのろい。今回初めて秋田内陸縦貫鉄道というローカル線に乗ってみたが、北秋田市鷹巣から武家屋敷通りで知られる角館までの94キロが2時間40分もかかる、うたた寝走行だった。
 秋田新幹線だって在来の田沢湖線などを利用しているため特急程度のスピードしか出ず、まれにクマをハネたりしている。もっともこののんびり具合は悪くない。今の日本、少し急ぎ過ぎるのだ。
 列車は午後もまだ浅い時刻、大館駅に着いた。膝の上に置いた重さ1キロ、1千頁の分厚いJR時刻表は、開くひまもなかった。この時刻表、旅の友替わりというか頼りになる助っ人で1週間余の旅行中、ずいぶんと世話になった。
 大館市では、繁華街あたりのビジネスホテルに投宿した。フロントの若い女性の日本語が変だ。お節介にも注意すると、そのへんの石コロでも見るような無表情な目つきで、無言のままわたしを見返すではないか。きわめて不愉快だったが、わたしも黙って部屋に上がった。