出版=『子供移民 大浦文雄—農村に生きる或る準二世の軌跡』=「気持ちに一区切りついた」

ニッケイ新聞 2012年1月21日付け

 スザノ福博村の発展を支え、救済会理事などを務めた大浦文雄氏が自伝『子供移民 大浦文雄—農村に生きる或る準二世の軌跡』(大浦玄編著、236頁、日本語)を昨年上梓した。
 「4歳半で来伯し、父親は29歳だった。両親がいつ、どうして渡ったかを私が書き残さないと大浦家のルーツが分からなくなると思った」と出版への思いを話す。
 1924年に香川県坂出市で生まれ、29年に両親や兄弟とともに来伯。サンタエウドージア耕地に入耕後、モジ市郊外コクエーラを経てスザノ福博村に入植した。
 日本語学習が禁止された戦中、読書や詩作に没頭。59年には同村青年会機関紙「大地」を復刊し、61年には「詩集スザノ」を刊行した。
 戦争で錦衣帰郷の夢を失った一世の親世代にかわり、準二世である青年らと共に村づくりの理念を打ち出す。
 「一世は日本という故郷を持っているが我々準二世はない。作ろうとした故郷が福博村だった」
 47年には第1回福博村実態調査を実施、66年に村会長、71年に汎スザノ文化体育農事協会理事長を歴任した。
 救済会創始者である故渡辺マルガリーダ氏との出会いで福祉への道へ進み、同会理事を務めた。
 常に地方からの視点を持ちつつ、日伯学園構想、移民史料館建設を提案するなどコロニアきっての論客として知られた。同氏の人生を通して活気を見せた福博村の様子が見えてくる。
 6章からなる同作には、文雄氏が創作した詩や随筆を随所にちりばめた。「社会活動に携わりながら、その思想的裏付けとして詩や文章を書いた。この本の構成は、音楽で言うと二重奏」
 今年出版予定のポ語版は子供達に託した。
 「やはりお金のかかること。『日本語は作ったから、ポ語は頼んだ』と言ったら子供達は『ムイト・ベン』とすぐに返事をしてくれた。誰に訳を頼むかは悩み所だが、私としては気持ちに一区切りついた」と安堵した様子で語った。
 一般販売はされていないが、購入希望の方は大浦玄(11・5016・1920)まで。