特別寄稿=望郷阿呆列車=ニッケイ新聞OB会員 吉田尚則=(7)=急遽、山陽道に変更

ニッケイ新聞 2012年1月25日付け

 夜来の雨は小降りになったが、まだ止まない。
 自殺の名所で知られる東尋坊にほど近い越前北部のこの地方は、暴風域には入っていないらしい。テレビは朝からしきりに台風関連の情報を流している。仲居さんの勧めもあって、やむを得ず米和旅館にもう1泊することに決めた。
 することも無く、朝風呂に入る。ヒフ病、胃腸病に効くという芦原温泉の湯は滑らかで、透明の被膜を貼り付けたようにとろりとした感触が肌に心地いい。
 全国3200カ所に湧出するといわれる名湯、秘湯あるいは湯治場や露天風呂を求めて、温泉好きの日本人はよく旅をしている。米和旅館も昨夜は家族連れなどでにぎわっていたが、今朝はいずれも宿を発ったらしく、浴場には誰もいない。
 そこでわたしは、湯ぶねにつかりながら小声でゴクラク、ゴクラクと呟いてみた。しかし、格別にゴクラク感は湧いてこない。手足を思い切り伸ばすと開放感はあり、軽く痺れたような感覚が全身にはしるが、俗に言われるこの感嘆フレーズが思わず口をついて出ることはなかった。
 急にヒマになったが、やらなければならないこともある。風呂から上がり、芦原温泉駅に行った。台風で旅程変更を余儀なくされたので、山陰本線回りでの南下は諦め、不本意ながら山陽新幹線に乗ることにした。 その手続きのため入った同駅の窓口で、小浜線はやはり不通になっていることを知らされた。
 旅館に戻り、東京の旅行代理店に電話。担当の青年は同情してくれ、計画になかった福岡県小倉でのホテルの1泊予約を手配してくれた。あとは何もすることがない。
 そういえば、さっきタクシーの運転手に「旅館でも町の食堂でも、オタクもだけど福井の人はよくしゃべるね」と饒舌ぶりをヒマ話にしたら、「そうかね、しかし福井人は心の内は明かさんよ」と言われ、ビックリしたことを思い出す。
 夕食は早めに済ませた。冬の味覚の王者越前ガニはまだ食膳に上らず、体調やや不良のせいで食もすすまない。早々に床の用意をしてもらった。
 旅の3日目、午前6時起床。テレビは「居座り台風」の猛威を現場取材で報じている。そろそろ日本海に抜けるころだが、速度が遅い。敦賀駅から新大阪駅に至る湖西線が心配だ。ここが不通になると、完全に立ち往生してしまう。
 ともかく、米和旅館の女将らに見送られて芦原温泉駅へ。午前11時30分、大阪駅行き特急サンダーバード18号は嬉しくも定刻どおりに発車した。
 下りはだいぶ遅れているという。「この分だと、湖西線は大丈夫でしょう」と、駅員に励まされての「望郷阿呆列車」の再出発であった。 敦賀駅を経て、永原駅から琵琶湖西岸を縁取るように南下する湖西線に入った。「途中、徐行の可能性」のアナウンスをよそに、サンダーバード号は驟雨と時折の烈風を衝いて疾駆する。
 そして京都駅を定時で通過、午後1時3分には遅滞もなく新大阪駅に到着した。安全運転第一としながらも、定刻発着を極力順守するJRの運行技術はやはり世界に冠たるものだと、ここは大いに賞賛したい。
 新大阪駅は、まだ強風圏内にあるものの日曜日らしい混雑ぶりだった。エレベーターを利用して新幹線ホームに上がると正面に、わたしの乗る鹿児島中央駅行きさくら561号のグリーン車があった。
 乗降ドア前には正装の女性乗務員が4人、通路をつくるように両側に並んで、乗客に深々と会釈している。もちろん悪い気分はしないが、過剰サービスだろう。
 客がそこまで求めるとしたら、その客は異常であり、応じるJR側の神経も尋常とはいい難い。さっき褒めちぎったJRをすぐけなすのも気が引けるが—。
 午後1時59分、新大阪駅を発つ。新幹線は通常16両編成だが、この日のさくら号は8両編成のN700系新型車両だった。座席にゆっくり身を沈めて、台風一過の山陽路に向かう。