コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年3月3日付け

 歌舞伎の中村雀右衛門さんが91歳で逝去した。先代の6世歌右衛門や7代目梅幸らが亡くなった後の舞台で名演技を披露しフアンを唸らせた名女形である。雀右衛門の舞台は見ていないが、雑誌などであの華麗な衣装で東京・木挽町の歌舞伎座で演じる様式美の凄さに見惚れ、いつかは観劇をと願っていたのだけれども—。筆者の知っているのは7代目の大谷友右衛門であり、映画「佐々木小次郎」を演じ大人気だったときである▼確か中学1年生のころ、田舎の劇場で観たのだが、あれは巌流島の決闘までの全3部だったと記憶するが、友右衛門の小次郎が、岩礁が連なるところで自慢の長刀を振るい燕返しの技を会得するシーンが素晴らしく、今でも小次郎の颯爽とした陣羽織姿がはっきりと眼に浮かぶ。そんな売れっ子スターだったのだが、映画は30ほどで卒業し古巣の歌舞伎へ戻ってしまったのは、幼いフアンとしてはなんとも哀しかった▼雀右衛門さんは、徴兵されて兵役についたし、戦地では父の6世友右衛門が巡業先の鳥取で大地震の犠牲となって死去したの悲報に接し、戦後に舞台に戻ってもあまりぱっとしなかった。本当に売れ始めたのは関西歌舞伎の名門・雀右衛門を襲名してからだし、女形として開花し始めたのも70歳あたりからで本人も「遅れてきた女形」と語っている▼雀右衛門さんの告別式は29日に青山葬儀所で営まれたが、歌舞伎俳優の坂田藤十郎さんや親戚筋の松本幸四郎さんと中村吉右衛門さんも参列し別れを惜しんだ。人間国宝、文化勲章の栄光を抱きながら雀右衛門は永久の眠りへ。(遯)