コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年5月1日付け

 きょう5月1日は「メーデー」であり、世界の国々でサラリーマンらの行進が繰り広げられ賑やかな祭典になる。今でも、左翼系の強い国ではかなり乱暴なデモにもなるが、最近の日本はおとなしく賑々しい街頭行進となった。だが—その昔は傍若無人の振る舞いが多く、4月の末ともなれば一般市民はある種の「怯え」を抱いたりもした▼総評(解散)と大田薫議長や岩井章事務局長らの指揮する「メーデー」は、明らかに革新的な政治運動であり、警官隊との衝突がよく起きた。元々、この労働者らの運動は週の労働時間を48時間とするように求めた1889年のアメリカでの示威行進が始りであった。日本にも大正9年(1920年)に導入されたが、政府の介入により禁止されるという歴史もある▼日本の「メーデー」で忘れられないのは昭和27年(1952年)の「血のメーデー」である。東京を行進したデモ隊は日比谷公園で解散す予定だったが、北朝鮮旗を掲げた朝鮮人らが暴徒となり皇居前広場に乱入し、最後には6000人を超す学生や勤労者が集結し2500名の警察隊と衝突し死者2名。警察官の負傷者が750名という惨事となった▼この事件は、吉田茂首相の講和条約が発効した3日後であり、とても政治色の濃い騒ぎだった。東大の南原繁総長は全面講和を唱え、吉田首相が「曲学阿世の徒」と非難するような厳しい世相だったが、この皇居前の血のメーデーは、やはり行き過ぎであり、次の総選挙で共産党は議席ゼロの記録もあるし、暴虐非道な暴れん坊デモを大和民族は大嫌いだったと見たい。(遯)