サントス日本人会=60周年、市議会が表彰=土井会長「闘いの歴史だった」=現在は文化普及も活発=中井貞夫市議の推薦で

ニッケイ新聞 2012年5月3日付け

 サントス市議会は、戦後の活動再開から今年で60周年を迎えるサントス日本人会(土井紀文セルジオ会長)に対し27日夜、市議会で記念プラッカを贈呈した。中井貞夫市議(PSDB)の推薦。式典には上新、遠藤浩両元会長、同地出身の伊波興祐元下議をはじめ、会員ら約90人が出席して節目を祝った。初の一世以外の会長として09年から会長を務める土井氏(60、三世)は「この60年は闘いの歴史。長い返還運動で見せた日本人の執念や我慢強さの重要性は言うまでもない。これからも日本文化の保存とブラジル社会との融合を目指したい」と挨拶し、喜びをあらわにした。

 式の冒頭「日本文化と教育の普及が継続されていることに感謝している」などと挨拶した中井市議(50、三世)は取材に対し、「価値がある日本人会の存在をサントス市民に示し、日系人としてもっと誇りをもってもらいたかった」と推薦の理由を語った。
 1928年頃から、同地在住の日本人によって同市パラナ街129番地にあった建物で日本語学校が開かれ、日本から教師を呼び寄せ、子弟への母国語教育が行われていた。その後、日本人会が正式に発足したのは39年のことだ。
 43年、同地在住日本人に24時間以内の立ち退き命令が下され、それにともない日本語学校の建物が敵性国資産として接収された。
 その後、活動が再開されたのは52年。初代会長として中井市議の祖父にあたる中井繁次郎氏が就任し、日本語学校の返還運動も始まった。
 2004年から5年間会長を務め、60年代から同地に住む遠藤氏(78、福島)は「サントスは他の移住地と比べて少し変わったところ。戦後は会館や定款もなかったので、会としてはあってないようなものだった。でも一世が多くて賑やかでしたね」と振り返った。
 その一方で、沖縄出身者が多く、本土出身者との間で軋轢もあったという。「サントスの日本人の間には、他地域と比べて団結力に欠ける部分があったと思う」
 日本語学校返還に至るまでにはその後、63年もの長い月日が費やされた。「イタリアやドイツの施設はすぐ返してもらえたようだが、書類がなかったからうまく進まなかった」(遠藤氏)。
 ルーラ当時大統領の署名で政府から正式に返還されたのは2006年。接収中は軍の施設として利用され老朽化が進んでいたため、返還後は日本政府から下りた草の根資金で改修した。
 08年に皇太子殿下が訪問されたさい「日本文化センター」として改修落成式が行われ、現在はそれまでなかった会の活動拠点となっている。
 会が法的に登録されたのは1990年。上新会長時代だった。現在は約350家族の会員がおり、52年以降毎年開催し今年で60回目を迎えた運動会、今年で34回目の敬老会や6月に行う移民祭などが恒例行事だ。
 08年からは地元非日系人への日本文化普及を目的に「文化祭」も開いており、日本文化センターでは武道、いけばな、日本語学校、日本料理の教室などの活動が行われている。
 「活動には非日系の参加が多く日系人の関心が薄い。これからいかに若者をひきつけていくかが課題」と土井会長。
 遠藤氏は「会長職は一世から三世に、スムーズにバトンタッチできた。文化は一朝一夕では作れないし、教育も時間がかかるもの。これから色々続けて幅を広げてもらえたら」と期待を込めた。