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さんとす丸同船者会=わずか6人、「今回が最後かも」=楽しく往時を振り返る

ニッケイ新聞 2012年5月23日付け

 1960年5月18日に着伯した移民船「さんとす丸」の『第3回同船者会』が20日、聖市リベルダーデ区ホテル「銀座」内レストランで開かれた。
 50周年を記念し一昨年に第1回を開催。邦字紙に案内を出したが、今回集まったのは田村吾郎(80、岡山)、安田功(70、鹿児島)、吉泉美和子(71、山形)、馬場園茂治(71、鹿児島)さん、若林正光(65、神奈川)・幸子(64)夫妻の6人。
 「今回で最後になるかもしれないね」「3分の1ほどは日本に帰ったしね…」と残念がる声も。初参加の参加者もいたが、テーブルを囲むなり古い友人同士のように話は盛り上がった。互いに来伯後の人生や、初帰国した時の様子などを語り合った。
 若林さんは「日本が経済大国になる前は、言葉が分からず一世同士でつるむと、二世から乞食部隊と言われた」と苦難の時代を振り返る。「おめえらに負けるか」と一時帰国、大学を卒業し会社を立ち上げ大手日系企業の工事受注で成功した。「日本だったら会えない雲の上の人達と一緒に酒が飲めた」と懐かしがる。
 馬場園さんは「一生住むのに、言葉が喋れないとどうしようもない」と、カメラを売った金を交通費に換えて農業高校へ入学申込み。校長宅に住み込みでポ語を教えてもらい4カ月で試験に合格した。「夜は殆ど眠れないくらい勉強」し、農機具販売会社を設立、今は悠々自適の余生を送っているという。
 田村さんは農場に入ったものの1年で辞め、「ブンヤでもやるか」と本紙の前身パウリスタ新聞に勤務。社会部編集次長を経て週刊時報、経済報知をそれぞれ15、20年発行した。体調を崩したのを機に離職したが、現在住むアルジャーから週に数度はサンパウロに通う生活を続ける。
 明るく場を盛り上げていた吉泉さんは、ブラジル農協婦人部連合会(ADESC)の副会長。「外に出て人と話すのが元気のもと。機会があったら出た方がいい。サウダージになったらまた会ったらいい」と話していた。

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