コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年5月24日付け

 取材相手が高齢であることが多い。加えて遠方を訪ねて—であれば、失礼ながら「最後の機会かも…」と持つペンにも力が入る。本来誰に対してもそうであるべきだが、まさに一期一会を感じる貴重な時間。尾山多門さん(享年92)の訃報に接し、2009年にパリンチンスのご自宅の玄関先で、クプアスーを頂きながらの取材が思い出された▼〃ジュートの父〃といわれた尾山良太の三男。家族と共に1933年に移住、一度も日本に帰らなかった。アマゾニア産業研究所、ジュート発見、八紘会館、戦中の資産没収、高拓生の四散の全てを間近で見た語り部。体験談に熱が入り始めたことで体調を気にした娘さんが「そろそろ…」と促すのを制して質問に向き合ってくれた。「日本人が来なければ、パリンチンスは今でもただの村」。古武士のような表情に町の繁栄を支えた誇りが漂った▼出身はイグサの産地である岡山県井原市。家族もゴザ製造に携わったという。その経験がジュート育成にも活かされたろうが、郷里でその功績を知る人は少ない。帰り道に寄ったジュート圧縮工場の責任者は日本人が関わったことすら知らなかった。アマゾンでは歴史すら朽ちるのが早いのかと愕然とした▼ちなみに多門氏、パリンチンス唯一の本紙購読者だった。「読んでるよ」と1カ月遅れで届く紙面を無邪気にかざして見せてくれたことを懐かしく思い出すと同時に、淋しい思いにも捉われた。尾山が亡くなった72年、町は3日喪に服したという。多門氏の死が日本人の歴史も含め現地メディアで報道されたことを知った。安堵の気持ちと共に、冥福を祈りたい。(剛)