コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年5月31日付け

 日本語に囲まれた環境で働きながらも「ブラジルを知らなくては…」と肩肘張っていたかつてが懐かしい。それでも踏み越えてはいけないと自分に課していた一線があった。NHKである▼読者の99%が見ており、読み手の感覚に近づくためにも見るべきだと長らく思っていた。放送開始から邦字紙の購読者を奪われ続け、「NHKがあれば新聞は要らない」と言い放つ声を聞くにつけ、何の意味もない意地を張っていたに過ぎないのだが▼先週末。何度か番組宣伝があった「未解決事件・オウム真理教」の午前9時からの放送に備え、早起きして用事をいそいそと済ませてしまった自分に愕然とした。禁断の果実NHK、恐るべしである。以前は聞き流していた読者の怒り—放映の問題で画像が止まってしまうことや必要のない世界の治安・天気、東京の交通情報などに今、歯噛みしている▼気になることが二つある。ニュースで文部科学省の話題のとき「文化庁」の看板が映るのだが、そのインパクトが凄いのだ。中風持ちのミミズがのたくったようなのである。膝を打たれた読者の方もいると思う。調べてみると、書家の成瀬映山(1920〜2007)によるもの。「王様は裸だ!」と言いたくなるのを抑えるのに必死である。もう一つは、アナウンサーのいい間違いの多さ、舌滑の悪さである。正調日本語といわれたのも今は昔▼NHKの話題に「見てないので…」と頭を掻いていたのも今は昔。「釣瓶の家族に乾杯」「ためしてガッテン」後、出勤のため表に出るとそこはブラジル。自宅のドアはまさに「どこでもドア」。最近はこの感覚が楽しい。(剛)