コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年6月29日付け

 「夫が自分の位牌を家に持ち帰ったので、私は思わず『気持ち悪いから捨てて!』と怒鳴ったんです」。コチア産組の最古参職員だった志村啓夫夫人とくさんのそんな話に、思わず引き込まれた。終戦直後のマリリア中心街にある通りの小高い場所に、認識派人物の位牌が15、6も置かれて、線香まで供えられていた。「勝ち組の中には、それを見て手を叩いて喜んでいた人もいた」ととくさんは思い出す。死刑宣告に等しい位牌を立てられた志村さんは、どんな気持ちでそれを自宅に持ち帰ったのだろう▼当時、マリリア在住日本人の9割は勝ち組で、負け組はわずかだったとか。「カーザ・オノのマリリア支店の入口に大きな字で〃国賊〃と殴り書きされていたのをはっきり覚えています」。とくさんはポ語が堪能なため、戦争中もブラジルの新聞を読んでいたので日本の苦戦が手にとるように分かり、夫にもそれを伝えていた。「夫はいつも日本が負けるわけはないと言うんです。でも、終戦の玉音放送を聞いて男泣きし、すぐに認識した」。日本に勝って欲しいという心情は、勝ち負けに関係なく、みなに共通していた▼とくさんの証言同様、掘り起こされていい話がまだたくさんあるに違いない。2年前に亡くなった志村さんが書き遺していた貴重な文章の数々を、岸本晟さんが文書番号を付けて分類し、一続きの資料にまとめた。その労作を史料館、新聞社などに寄贈してくれた。本来、史料館がやってもいい取り組みだと感心した。関係者の労に感謝すると共に、貴重な歴史を書いていてくれた志村さんの御霊に合掌したい。(深)