第3アリアンサ入植85周年=市が診療所建設を約束=法要、式典、親睦会など=嶋崎会長「活路求めて奮闘」

ニッケイ新聞 2012年7月20日付け

 1927年に松沢謙二ら富山県人4家族11人が開拓移住したことに端を発する第3アリアンサ移住地(富山村、以下「ア」と略)の入植85周年を記念した慰霊法要、記念式典が14日、同地公民館で盛大に行なわれた。列席したミランドポリス市長は「この祝いの日を記念して第3にUBS(公立診療所)をプレゼントする」と約束し、地元住民から喝采を送られた。母県からの四方(よも)正治県議会議員(南米協会理事長)ら訪問団5人に加え、サンパウロ市からア郷友会がバス1台で駆けつけたほか、ミランドポリス市長を始め近隣から計700人が慶祝に押し寄せた。

 「入植した当時は、コトベロ川の畔にテントを張って、オンサ(豹)が出て来るんで夜は火を絶やさないよう交代で寝ずの番をしたとか、日本との交信をするのにバウルーまで出なければならず一週間がかりだったなどと義母から聞いています」と先駆者・松沢謙二の妻たまきが語った開拓時代の思い出話を、嫁やよいさん(75、長野)=ミランドポリス在住=は懐かしそうに思い出す。「いつもピストルを腰に下げ、棒を一本持って歩く人だった」とも。
 午前9時からアラサツーバ東本願寺の中島康夫導師により開拓先没者法要が営まれ、列席者はしめやかに焼香した。式典で第3ア文協の嶋崎清会長(70、二世)は「最盛期に200家族いたが今は40家族。生き残りが難しい小規模農家ばかりだが、みな果樹栽培に活路を求め奮闘している」と挨拶した。
 富山県人会の市川利雄会長、同ア支部長の南勇(いさお)さん、ア日伯文体協の佐藤勲会長に続き、ノロエステ連合の白石一資会長は「馬でも歩けない穴ぼこだらけの道、病気になっても馬車一つない時代の御霊を慰めることは〃移民の故郷〃ノロエステの務め」などと祝辞を述べた。
 ミランドポリス市のジョゼ・アントニオ・ロドリゲス市長は「UBS施設建設に27万4千レアル、設備備品に10万レアルを投資して、今年中に完成させる」と公表し、従来のUBSは貧弱な設備しかなかったが、今回は「完全なもの」にすると意気込んだ。
 飯田久範(ひさのり)富山県会計管理者は「ともに手を携えて世界に羽ばたき発展していくことを心から願っている」と石井隆一知事のあいさつ文を代読した。同県は78年以来、30年以上も日本語教師を派遣しており、来月には18代目となる宮川純(じゅん)教師が着任する予定。他に坂田光文県議会議員(前議長)、本郷優子県国際・日本海政策課係長ら5人が来伯した。
 食事は全て婦人会の手作りで、池田貞子会長(74、二世)は「昨日は一日、今朝も5時から22人で腕によりをかけて作った」と微笑んだ。
 75歳以上の高齢者19人に毛布が贈られたほか、母県派遣団と記念品交換も行なわれた。当日はア郷友会第47回親睦大会、同地小学校卒業生同窓会なども開催され、夜10時ごろまで丸一日、旧交を温めた。
 家族5人で遠路はるばるレジストロから出席した佐々木悟さん(72、二世)はここで生まれ14歳の時、58年前の7月10日に転住した。「最初に戻ってきたのはその30年後、生家が壊されるちょうど一週間前だった」と思い出し、目を細めた。
 同地生まれでパルメイラ・ドエステ在住の尾沼江美子さん(76、二世)は息子に連れられて入植祭に初出席。「両親は第3で亡くなったので今日は手を合わせにきた。何十年ぶりに会った人もいてとても嬉しかった」と顔をほころばせた。