第2回=我が子と分けへだてなく教え

ニッケイ新聞 2012年8月24日付け

 報道に関してだけでなく、ブラジル柔道選手の試合を見ても他国に比べ姿勢が良く、腰を伸ばして、一本を取る柔道を目指し、態度が立派であったように思う。
 フェリッペ・キタダイ選手は男子60キロ級で、ゴールデンスコアに入り、最後に相手を背負ったが、その技は、力の全てを出し切った無心の背負い投げ以外の何ものでもない。投げた後も完全に横転した相手を前にして信じられない顔をして、審判の判定を見詰めていたのが印象的だった。
 常に、ブラジルの選手は、日本の正統派柔道に敬意を払っており、今回も大会前の最後の練習は日本で仕上げた。ヨーロッパやロシアの力の柔道とは、いつも一線を引いた柔道を心掛け様としているのを我々も知っている。
 それは日本人移民達が、100年を越す昔から、農作業の傍ら、酷暑の中で労働者の家族の子供達と自分達の子供達を分け隔てなく一緒に、柔道を指導してきたことが忘れられないからだと、どのブラジルの柔道家も言う。日本人は、健康と娯楽の為、まず怪我をしないよう、子供達に受身を教えた。
 そして技の形を練習する繰り返しの稽古の打ち込みでは、相手があって始めて技を磨く事が出来るのだ、と言う基本的な柔道精神の大切さを、先生達は教えてきた。試合に勝つ事よりも自身の健康を作り、強い身体を作る為に柔道があり、礼儀を重んじる事の大切さを常に教えた。
 これらの事は、小さい頃から誰もが身体にしみついて理解されている。その昔の子供達は、現在、オリンピックの選手の指導者であり、強化コーチであり、柔道連盟の幹部として、ブラジルの全国各地で柔道に携わっている。
 ブラジル柔道のメッカ、サンパウロは日本人移民の集散地だが、その町の中心にあるイビラプエラ公園のど真ん中には、南米講道館がある。これは日本外務省の草の根資金と州政府の支援で、270畳が敷かれ、ブラジル選手が全国から世界選手権やオリンピック前に猛稽古にやって来る。州政府の協力の下、奨学金制度を設け、貧しい地方の選手や、学術優秀な青少年を合宿させ、常時稽古できるような制度が作られて30年になる。
 正面には嘉納治五郎師範の写真が掲げられ、練習の前には道場を掃除し、稽古の始まりと終わりには、全員で正座し、黙想し、写真に座礼し、柔道の基本である、
 我々ブラジル講道館柔道有段者会は、日本の講道館と常に連携しながら、日本の文化の伝承を、日本移民の歴史を反芻しながら、連盟を支援している。と同時に、日本の明治時代に作られた柔道が日系人社会だけでなく、移民として受け入れてくれた、心の広いブラジル人に正しく理解されるべく努め、青少年の健全な育成の為の礎を作るべく知恵を絞ることに努めている。
 過去には、柔道の普及に関し、ブラジル柔道連盟とは様々な議論もしてきた。彼らは世界に急速に柔道が普及し始めると、全て自分達流に理解し、運営し柔道を変えようとさえした。ブラジル人達は、柔道を自分達のものとして柔道普及を独占したかったからであろう。それを全て許せば、果たしてどんな事になるだろうと、度々危惧される時期にも直面した。譲れないものは、きちんと維持する議論には、エネルギーが必要だし、妥協は許されない。しかし議論が深まり、この社会の通念との交流が繰り返されると、礼儀作法にしても、運営方法にしても、理解度は深まる事は確かだった。日本の武道は欧米文化とは異なる歴史の土壌から育ったものであり、異文化の強制は許されない事も我々は学びつつ。
 時間と共に、辛酸を舐めてブラジルの大地を切り開き、ブラジルの農業の基盤を築いた日本民族の文化は、彼らにとって、共に生きる同じ社会の一員として理解できるようになり、柔道を自分の子供達の教育の大切な手段として選択してきたのだと思われる。(つづく)

写真=ブラジル柔道連盟のパウロ・バンデルレイ会長(写真提供=有段者会)