コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年9月26日付け

 「日本とブラジルに一対七を生きなお母国語にわれは執しつ」(小野寺郁子、『椰子樹』6月号)には歌詠みの業が刻まれている。同号に掲載された明治神宮春の大祭短歌大会の特選歌「満州に生まれ南米に果つるとも育ちし国は大和まほろば」(富岡絹子)も、まさに移民の切ない心情を詠い込んだ秀作だ▼全伯短歌大会では例年感心する作品が多い。今年の「住む家を吾娘の名義に切り替えて夜の静かな雨おとをきく」(信太千恵子)という歌は2位とはいえ、深い味わいに溢れている。ややもすれば暗くなりがちな「夜、雨」という風景を、しっとりとした娘との信頼感に変え、温かい情景をかもしている。小野寺郁子さんは「家がわが手を離れたことへのわずかな悲しみが漂う。と同時に『これで良かった』という安堵感がよく表現されている」と見事に選評した▼「諍いてむっつりといるつれ合いに熱きうどんの夕餉つくりぬ」(小池みさこ)にも、ほのぼのとした夫婦の機微を感じる。金谷はるみさんの「諍いは放っておくと亀裂になりやすい。それを女らしい優しさで包み込む日常がよく表現されている」との評にも感心した▼「天国へいつ召さるる身か酸素吸入しつつテレビに相撲見ており」(尾崎都貴子)は、きっと病院で看病しながら詠んだ作品だろう。ブラジル人看護婦がしょっちゅう出入りする中、相撲の中継を見ながらその時を待つつれ合いを、じっと見守る妻の姿を想像させられた▼「青空がリオまで続けと思うなりロンドン五輪の終わる夏の日」(多田邦治)という歌の持つ清々しさは格別だ。4年後のリオ五輪に向けた日系社会からの応援歌といえる。(深)