コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年10月30日付け

 去る20日の「ぷらっさ」に清水秀策さんの「私のトイレ哲学」があり、風呂場とトイレを別々にするという日本の伝統をきちんと守る姿勢には、凄い人だなあ—と讃嘆しきりである。ちょっとばかり背が低いらしく、バスの停留所にある御手洗いの男子用便器が高すぎておしっこをするのに難儀していると苦情を申し述べているのは、思わず大笑いしたが、確かに—したいのに出来ないこの苦しみは、我輩にもよく解る▼どういう訳かはよく知らないが、日本でも韓国でも、あの欧米風のトイレはなかなか普及しなかったそうだ。和風はしゃがんで用をたすが、あちら流は腰を下ろして座るタイプであり、他人さまが使ったところに自分が座るのは—どうもが理由らしいが、この辺りの微妙な心理の動きは、素人には難しい。そう云えば、日本の新橋—横浜に鉄道が導入されたのが明治5年であり、開業式には明治天皇もご臨席になったそうだ▼あの創業の頃には、線路も機関車もイギリスから輸入し、勿論、運転手らも「お雇い外国人」の英国人だったし、それに—「トイレ」が無かった。明治22年になり東海道線が長浜(滋賀県)に通じても、御手洗いがないので乗客らは大いに困った。仕方がなくお客らは、列車の窓から—失礼と相成る▼あの新橋 —横浜の運賃は1円12銭5厘と高い。ところが、不埒者が窓からおしっこをしたのを咎められ罰金10円の判決が課せられたという。あの当時としては、これは大金であり、これを支払う「窓ション男」は「出るものは止められない」とぶつぶつ不満を呟いたに違いない。(遯)