ブラジル文学に登場する日系人像を探る3=ギマランエス・ローザの「CIPANGO」=ノロエステ鉄道の日系人=中田みちよ=第6回

ニッケイ新聞 2012年11月1日付け

 日本人はきたときはみんな貧乏で金持ちになって帰る・・・。出稼ぎ根性はブラジル人たちだって看破していたんだ・・・私も読み終わってバンザーイ、バンザーイ。そういえばバンザーイなど久しく言わないし聞かなくなりました。聞けば違和感がともなうような時代になってしまいました。時間のなせる業。植民地の元旦の祝賀会や、何かの催しごとの乾杯は、必ずバンザーイをやったものでした。
 「テンノウヘイカ・バンザーイ、ニッポン・バンザーイ」それが「ビーバ、サウーデ、カンパーイ」に変わったのはいつごろからだったでしょうか。訳知りがいて、敗戦国がバンザーイを三唱するのはおかしい。ブラジルだからと「ビーバ、サウーデ カンパーイ」 になったような気がしますが・・・。
 まあ、ブラジル人に作中の見合い結婚を説明するのは難しいですね。結納という金銭のやり取りが曲解させる要因になります。短絡的にお金でムスメを売るという風に受け取られがちで・・・、あるいは平たくいえば、そうなるのかもしれないと苦く思ったりもして・・・しかし、見合い結婚がうまくいくほうの確率がはるかに高い、と語学教室でいうと学生は一様にいやな顔をします。
 ロマンス・イコール・ハッピーエンドの安直なメロドラマの観すぎだよ、といっても否定されてしまうんですね。ハッピーエンドの先に地道で平凡な生活が待っている。ウイデイングドレスで人生が終わるなら、人は苦労しないよね、と70の婆は苦言を呈しますが、ピンク色に浮かれている彼らには通じない・・・。
 そういえば移民草創期に「ムスメ三コント」といわれた時があったことを思い出しました。結納金三コントを出さなければ嫁をもらえなかった・・・。記憶違いでなければ当時の一コントは日本へ里帰りできた額だといわれますから、これなど、まさしく、お金でムスメを買ったことになりますよね。だから大多数の徒手空拳の青年は結婚できなかった・・・。 不思議なのは、閉塞的な日本の生活に反発して海外に飛び出したはずの人たちが、なぜ、結納などというしがらみに拘り、それを履行したのかということです。後になっても、けっこう、洗濯屋の息子など家柄がつりあわないなどと、やっていましたからね。日本のそんなところがいやで外国に行こうと思ったんじゃないですかねえ。
 因習的で頑迷な石頭にずいぶん逆らったのに、気がついてみたら、同じことを繰り返している・・・外国までやってきて・・・考えてみると、人間て、哀しいもんですね。(おわり)