第3回=タグアチンガ=首都建設に参加した日本人=「ブラジルの底力を目の当たりに」

ニッケイ新聞 2012年11月8日付け

 祈るために両手を合わせた様子をそのまま外観にしたメトロポリタン教会には、まるで産道のような薄暗い地下道を通った先に、ガラス張りで明るい陽光が差し込むドーム型の礼拝堂がある。これは「人間が暗闇から出発して光に向かっていくことを象徴している」(『ブ50年史』78頁)という。
 バスに同行したガイドによれば、メトロポリタン教会内の天井のガラス細工は、正面には子宮をイメージしたY字型で「世界が生れるところ」、その上に受精卵、左に妊婦、右に跪いて祈る女という具合に、生命の神秘を連想させる表象が散りばめられている。
 極めつけは、連邦議会ビルの裏からJK橋に向かう途中を見せられた原野だった。かなりの広い面積がセラードのまま残されていた。「なぜ、何も建っていないただの原野を見せるのか?」と訝しんでいると、「将来ブラジルが発展して、あの官庁街が狭くなった時、ここに建て増しするように予定された土地です。今は何もありませんが、ここにはブラジルの未来が構想されています」。
 最後に「それを確かめるために、みなさんぜひ150年後に、もういっぺん見に来てください」と冗談でガイドがアナウンスした時、一行の多くは爆笑した。
 でも記者は笑えなかった。08年1月の百周年開幕式の時、迷路のような大統領府の中を案内された時、「建て増ししているがもう限界。これ以上は空間がない。もっと大きい建物にしないと職員が収容しきれない」との声を聞いたのを思い出したからだ。今世紀に入ってからのペースで発展を続けるなら、遠くない将来、この原野には新しい官庁街が建設されるに違いない。
 半世紀前には何もなかった原野に、ブラジル第4番目の人口256万人を誇る連邦直轄区が生まれ、今では一人当たりの国内総生産は南米都市中で5位を誇る。JKは「50年の発展を5年で」をスローガンにした。ブラジルは永遠の「未来の大国」と自嘲して久しいが、意外にこの50年間は、他所の国の500年に匹敵する歴史だったのかも——と考えさせられた。
 イナウグラソンの翌年61年に意外な人物が新首都を訪れた。同年4月12日に人類初の有人宇宙飛行を成し遂げたばかりの宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンだ。彼はあまりに近代的な都市の景観に「私は他の星に到着したような印象を受けた」との有名な言葉を残した。
 こんな不思議空間ゆえに、わずか50年の歴史しかないこの都市がユネスコの「人類の文化遺産」に指定されたのかもしれない。こんな壮大な国家創造神話的な世界に、果敢に身を投じていった日本移民たちがいた——。
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 故郷巡り一行のバス3台が9月29日午後に「ブラジリア日伯文化協会」(佐藤昇会長)に到着すると、予期しない盛大な歓迎を受けた。衛星都市タグアチンガに所在し、JK就任翌年の1957年に創立した。
 会館入り口右側の壁には、ずらりと記念プレートがならぶ。不思議なことに、歴代会長の苗字の多くがMatsunagaだ。この家族はいったい何者なのか。
 数ある連邦直轄区の日系集団地の中でも、ここは最も日系人が多いことで有名だ。同協会には210家族も会員がおり、日本語学校など若者向けの活動も盛んだ。
 一行が到着した時も会館入り口の両脇に、今年創立したばかりの金夢(きんむ)太鼓10人が並び、迫力の歓迎演奏をして一行を感激させた。会館にずらりとテーブルが並べられ、現地の人と混ざるように座るといっぱいになった。
 懇親会では現地の佐藤会長が歓迎の意をのべ、一行を代表して木原好規団長が「盛大に歓迎してもらい感無量。60年代に仕事でこっちに来たことあるが、当時は舗装道路などなくバラックのような家ばかり。見違えるように立派な町になったのを見てびっくりした。懐かしさと共にブラジルの底力を目の当たりにした思いだ」と挨拶した。(つづく、深沢正雪記者)

写真=様々なシンボルが散りばめられたメトロポリタン教会の内部