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文協=木多会長、結局何やったの?=画餅に帰した国士舘構想=見込みの甘さを露呈=退任決意も後継者なし

ニッケイ新聞 2012年12月8日付け

 「もうあまり意欲がない」。木多喜八郎・文協会長二期目の就任時の一大プロジェクトとして掲げ、2010年12月の評議員会で500万レの予算が承認された『国士舘文協エコロジーパーク構想』が事実上、頓挫状態にあることが明らかとなった。木多会長が先月30日、本紙の取材に答えた。同プロジェクトに資金が集まらなかったことを明かしながらも、市役所の対応の遅さや、「日系5団体で基金を作ってもいいが、どこも興味を示さない」などと執行部の見込みの甘さを棚に上げ、批難めいた口ぶりさえ見せた。「三期目はない。山下譲二副会長に次期会長をお願いしたい」と話しているが、山下氏は固辞しており、後任者すらいない状態でコロニアの大役を放り出す格好となりそうだ。

 同プロジェクトは、文協が所有する国士舘スポーツセンター(サンロッケ市)を「エコロジーパーク」として活用するという案で、原始林(20ヘクタール)を除く38ヘクタールを七つに分割し、企業や団体に25年契約で無償貸与し、維持費を負担してもらうというものだ。
 国士舘センターは1997年に国士舘大学から文協に贈与され、敷地面積は約58ヘクタール。駐車場、体育館があり、7月の桜祭り、マレットゴルフ大会などが開かれているが、収入は桜祭りとイベント会場としての賃貸料のみ。
 例年赤字のため、文協の〃お荷物〃的存在となっており、2007年に地元コチア青年らが自主運営を主張し、使用権の委託を巡って評議員会で論争となった。2010年には、批判の声もあるなか、木多体制の目玉プロジェクトとして強行採決されていた。
 昨年12月の評議員会に木多会長は欠席。原田清評議員会長は「来年の文協桜祭りに向けて、新たな道路の開設、駐車場を広げるなどのシンプルな工事から始めたい」と話していたが、地ならしや正門の設置、正門から体育館入り口までの道路拡張、体育館周りの整地、駐車場の拡大などの基礎工事のみだけで終わっている。
 「プロジェクトへの投資家の注目を集める目的だった。何もしなかったわけではない。本格的に資金集めをするには、基礎的な工事ができていないと難しい」
 木多会長は続ける。「景観が美しく、場所への関心はそのものは高い。プロジェクトは終わらないし、これからも続く。私の大きな夢であることは変わらないが、もう意欲がない」と本音を漏らし、今後は文協を離れ、自身の仕事に集中したい考えを示した。
 なお、来年の事業計画と予算案について審議が行われる評議員会が8日午前9時(第一次召集は午前8時半)から、文協ビル13、14会議室で開かれる。


 どうなった?「功労会員」=集まった目標額の4分の1…

 文協は今年4月、「功労会員」と呼ばれる特別会員枠を設け、文協ビル、日本館の改修、国士舘プロジェクトへの資金調達を目的に募金キャンペーンを行うことを発表したが(4月3日付詳報)、そのさい、担当の栢野定雄第二副会長は「木多会長の任期が終わる来年3月までに、何としてもやり遂げたい」と説明していた。
 個人、法人、文協会員を問わず、寄付は来年3月まで受け付け、一口毎月200レ。目標は500口、金額にして120万レを集めることだ。現在、どれほど集まっているのだろうか。
 30日に栢野氏に聞くと、現在集まっている金額は32万6千レ。来年3月までにさらに15万レが集まる予定だという。
 このうちの10万レが、既に消防署の規定に基づく防災設備の完備に使用されている。栢野氏によれば煙探知機や非常灯、16の新たな防火扉を設置したといい、残るは現在ある非常階段を使える状態にするだけだという。
 ただし、工事が終了すれば認定書をもらう段階となるが、それを得るのには困難が予想されるという。
 日本館については、「野村アウレリオサンパウロ市議が修復費として市に申請した50万レが許可されるのを待っている状態」という栢野氏。
 「今月中旬まで市の返事を待ち、それからどうするか決めたい」。市から支援金が下りなかった場合は、20年前に日本館の屋根を無料で取り替える工事をしたという大阪にある工務店か、ブラジル在住の日本人大工に依頼するという2つの選択肢を考えているという。

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