ブラジル文学に登場する日系人像を探る4=マリオ・デ・アンドラーデの「愛は自動詞」=端役の日系人コッペイロ=中田みちよ=第3回

ニッケイ新聞 2012年12月13日付け

 『…そこで彼らは話し合った。長い時間。感動を込めて。過去の苦しみを語った。固い信頼に結ばれて。外地での痛痒と苦しみを。幼少期は幸福だった、無邪気でおもちゃがあって、春が来て、母親がいて…いまだかつて、一粒の涙が、これほど思い出を、喜びを、悲しみをもたらしたことがあったろうか。二人の上に月光が降り注ぎ、それが聖油となって小さな悪意など溶かして忘れさせた。お互いに感動して見ていた。大きくて不細工で精神性の強いドイツドラは月にショーンガウア(マルテイン・ドイツの画家)をおもい、平べったい顔のニホンドラは月にシュンタイ(春岱・瀬戸の陶工)をみていた』
 移民の寂しさをトラ同士がかみしめる場面です。憎みあいながらも、外国に暮らすものとして、お互いの孤独が手にとるように分かる。
 当時日本人は、ブラジル人にとって、よく分からない人種だったんだと思います。タナカも奥地の日系人集団地からでてきた日本人で(日本移民の在伯年数からして二世はありえない)ポルトガル語は片言隻語しかできませんから、心中を吐露するような言葉は持ち合わせていない。 
 マリオはソウザ・コスタ家をブラジルの代名詞として登場させているんです。日本人、ドイツ人、ポーランド人、イタリア人が下男や下女で働き、それに料理番の黒人女などが寝起きし、就労する場つまり、こここそブラジルそのものなんですね。奴隷制度が廃止され、農園の代替労働力として導入されたのが外国移民ですからね。
 斉藤広志は1920〜29年当時のサンパウロ州の主要入移民は最多がポルトガル人で23・27%、イタリア人15・35%、ついてスペイン人13・10%、ついで日本人の11・37%を列記し、10%未満としてドイツ人、オーストリア人をあげています(「ブラジルの日本人 55P 丸善株式会社 1960年」)から、統計的にも逸脱していません。
 ですから、ソウザ・コスタ家は他人種の移民で構成されるブラジル国家をあらわしていると読めばすごく興味深く、近代芸術週間の旗手としての面目躍如です。マリオは次年度には『マクナイーマ』という作品を発表し、せっせと汗を流すのが嫌いなブラジル人の代表的なキャラクターとしてマクナイーマを登場させています。これこそブラジルの大地が創造した性格だという含みがあるんでしょうねえ。
 ニホンジンと個人的な接触があって、タナカというキャラクターが創出されたというのはオスカール・ナカザト(パラナ連邦技術大学教員)ですが、どうなんでしょうねえ。この年、日系人ではじめて川原清がサンパウロ州立の中学校に入学を許可された(日本移民・日系社会史年表 57p)のが当時の同胞社会で、一大ニュースになったくらいですから、学友としての交流は考えにくいし、文字通り、下働きとしてニホンジンが近くにいたのかもしれません。陰湿でオロカしい意地悪をするところなど、平均的な日本人のやりそうなこと。結構、ニホンジンを見ています。
 この『愛は自動詞』という作品、発表されたとき、世間の顰蹙をかいました。父親が雇い入れた家庭教師の年上の女性(ドイツドラ)と性の世界に目覚める思春期の少年(主人公)が主役なので、大変スキャンダラスな問題として取り上げられたのです。
 もう、こうなると、ニホンドラは登場する余地もありません。ここに部分的に抽出・翻訳した場面以外は、タナカは消えてしまいます。別の意味で、つまり、日本人は当時、性の対象、恋愛の対象としてブラジル人からは目されていなかったということになりましょうか。淋しいですが、肉体美のモレナの前では貧弱な日本人は勝ち目がありませんね、男女とも。
 マリオはもともと音楽学校出身で詩人、作家、文芸評論家であり、音楽理論、民俗学など、多方面に大きな業績を残しています。心臓病で51歳で突如世を去りましたが独身でした。同性愛者だったともいわれています。
 現在はある程度同性愛を許容する社会になりましたが、当時としては、これもスキャンダルだったはずです。「近代芸術週間」のもう一方の立役者オズワルド・デ・アンドラーデとは無二の親友だったのですが、このゲイ騒ぎから袂をわかちました。(おわり)