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コシノジュンコさんが山車と衣裳をデザイン=2013年カーニバル=「ずっと憧れだった」=バロッカ・ゾナ・スールで

ニッケイ新聞 2012年12月19日付け

 世界的に有名な日本を代表するファッションデザイナー・コシノジュンコさん(73、大阪)が、サンパウロ市のサンバチーム「バロッカ・ゾナ・スール」の来年2月のカーニバル用の衣裳と山車をデザインし、自らもサンボードロモでカーニバルに出場する。来年開催予定のイベントの準備も兼ね、NHKBSプレミアムのドキュメンタリー番組「旅のチカラ」の収録で12日に来伯、14日夜に同チームの練習場を訪れ、来年のカーニバルのハイーニャ(女王)などを決めるコンテストの審査員を務め、メンバーと交流した。大歓迎を受けたコシノさんはステージで「私の考え方、私自身、私のデザインで憧れのカーニバルに参加できて、とても嬉しい」と喜びの声を寄せた。

 「ブラジルは世界的に注目されている、これからの国。とても新鮮で、ドキドキしています」と本紙の取材に応じたコシノさんは、深夜12時半過ぎにバンで撮影チームとともに練習場を訪れ、メンバーとの挨拶もそこここに、快く写真撮影に応じたり、ともに踊りだすエネルギッシュな姿を見せた。
 長年カーニバルへの憧れがあったものの、ブラジルを訪れる機会はなかった。一方、約30年続く日本最大のサンバのパレード「浅草サンバカーニバル」の審査員を11年務めるなど、日本に居ながらにしてカーニバルへの思いは絶やすことがなかった。そんな中でNHKから番組の話を受け、「やるなら今しかない」と参加を決意した。
 「カーニバルの衣裳は、長い歴史につかり過ぎているのかクラシック。もっとモダンなものに影響されてもいいと思う」と印象を語る。「バロッカが大変だときいて、私が参加することで、新しい空気が入るんじゃないかと思った」
 同チームは1974年の設立以降、90年代前半までは毎年スペシャル・グループだった名門だ。一昨年までは格下(アセッソ・グループ)に落ちた年もあったが、2011年にはついにその下(グループ1)にまで降格した。実は、移民75年目の1983年、初めて日本移民をテーマにしてカーニバルに出場したチームでもある。
 来年のテーマは、ホームである「ジャバクアラの歴史」。17世紀初頭には逃亡奴隷が集住し、その後はサント・アマーロなどに行く人々の拠点となった同地区の発展の歴史を表現する。
 コシノさんが担当するのは、テーマの要素の一つ、ジャバクアラで最初に日本人が入った地区ジャルジン・オリエンタルをモチーフとした山車とデスタッキ(最も目立つ場所に乗る人)、その周辺で踊る日系人のアーラ(場面ごとのグループ)の衣裳のデザインだ。
 バロッカはグループ1で優勝し、再び格上のグループ入りを目指したい考えだ。プレジデンテのジェルソン・サンパイオ・ネットさん(60)は、「とても感激している。世界中で発揮してきた才能や経験で、チームを変えてくれると信じている」と大きな期待を寄せている。

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