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楽しく独居生活を送るコツ=生き生き一人暮らし=35年間リ広場でフェイランテ=毎日感謝「元気でありがとう」=神様の力で生かされる

ニッケイ新聞 2013年1月1日付け

山下きよこさん(85、東京)=『無いものに不平を言わず、あるものに感謝して生きる』

 戦後移民の平均年齢ですら70代半ば以降といわれる現在、コロニアはどんどん高齢化が進み、連れ合いを亡くすなどしてますます一人暮らしが増えている。日本では仕事もなく地域社会との接点も持たない高齢者は「独居老人」と呼ばれ、「孤独死」も起きていることから、なかば社会問題化している。当地の福祉関係者も「独りになって、引きこもってしまう人はけっこういる」と指摘しており、日本で起きていることは、当地でも人ごとではない。しかし、そうした中でも健康で充実した独居生活を送っている人はたくさんいる。ブラジル社会の中で生きる子どもとは習慣が異なる部分が多く、その世話になるかどうかには微妙な親子関係が反映されている。今回はそんな70歳以上で元気に一人暮らしをする高齢者に焦点を当て、楽しく生き生きと独居生活を送る秘訣を語ってもらった。

 賑わう週末のリベルダーデ広場で「ホーザ」の名で親しまれる山下さんは、フェイラが始まって以来35年出店を続ける〃東洋市の顔〃だ。山下さん手縫いのエプロンや布巾は柄のセンスがよく値段も安価と評判で、店を開けると馴染みの客やフェイランテが「元気で頑張って」と声をかけていく。「温かい言葉をもらうのがうれしいよね。皆とここで話をするのがなにより楽しみ」と顔をほころばす。
 当時は個人で既製品のアクセサリーを売っていたが、フェイラで手作りエプロンを売り出したところ大当たり。多い時で一日600レアルを売り上げる時もあった。年金もあるので、暮らし向きは悪くない。
 まともに裁縫を教わったことはなかったが、バザーでエプロンの見本を買い、見よう見まねで作った。平日は一日縫製にかかりきりで、土日に売りさばく。「忙しくて友達と会う暇もないけど、フェイラのおかげでこの暮らしが出来る」と感謝する。
 会話のテンポも速く、記憶力もけっして若者に負けていない。「頭を使うことが大切」と、山下さんは好きなノヴェーラやTV番組を見る時も「どうしてあの人はああ言ったんだろう、あんなことをしたんだろうと、色々考えながら見る」と言う。
 12年前に夫が亡くなったが、いつまでも泣いている暇はなかった。頭に浮かんだのは「明日からどうして食べていくか」ということ。今も「布巾を作る生地をどこに買いにいこうか」「明日はあれとあれを縫わないといけん」と、常にやるべきことが目の前に山積みの気分だという。炊事に、洗濯に仕事—人に迷惑をかけず、責任持って自分の人生を生きることに全力をかける。

学校に行けなかった悔しさバネに

 80年前に渡伯した時は、まだ5歳だった。一家はモジアナ地方でカフェ栽培に携わった。父は「ブラジルに来たのは仕事のためだ」と子どもたちを学校に行かせず、農作業の手伝いに借り出した。
 「学校に行けなかった」という辛さが身にしみており、今もありありとその気持ちが蘇るという。「でも負けたくない」と朝晩のニュースは必ず見、ラジオを聴き、独学で読み書きを学んだ。
 分からないことがあれば誰にでも遠慮なしに尋ねてきたせいか、人に対し怖がったり引け目を感じたりすることはなくなった。「溜め込むのはよくない」と誰にでも忌憚なくものを言うように心がけている。
 山下さんが11〜2歳の頃、両親がマラリアで亡くなり、兄弟3人が後に残された。「その後、兄弟はあっちこっちに世話になってね…。親は子どもが一人前になるまで死んじゃいけないとつくづく思ったよ」と思い出す。
 パトロンがくれた北パラナのアサイ移住地の2アルケールの小さな土地で、兄弟3人が身を寄せ合うように、野菜栽培で生計を立てた。しかし「誰も言い聞かせる人がおらんから、いつも喧嘩が絶えなかった」。あまりの辛さに身一つで家を飛び出し、修道女が運営していたサンタカーザ病院に飛び込みで仕事をお願いし、住み込みで働き始めた。新たな人生の始まりだった。

背を向けた息子たち

 その後、出聖し仕事を転々としたが、リベルダーデの食堂に勤めていた21歳の時、洗濯屋を経営していたよしはるさんと出会い、結婚した。後に山下さんはフェイランテ、夫は大洋漁業で水産物の卸売りに携わった。
 日本から来る駐在員の妻の世話役は、山下さんの仕事だった。この頃から、学校を出ていないというコンプレックスは、「大洋漁業の奥さんを世話できた」と言う自信に変わっていった。
 最愛の夫が12年前に亡くなった後、長男はぱったりと家に寄り付かなくなり、3年前のどしゃ降りの元旦にガンで亡くなった。
 昔は度々連絡をくれ、母を気遣ってくれていた次男だが、最近は時々安否を尋ねる電話があるていど。彼の居所を尋ねてもなぜか言おうとしない。
 「女、子どもは黙っとけ」と横暴だった夫を反面教師とし、きよこさんは「気に入らないことがあれば何でも言ったらいいよ」と言い聞かせて息子たちを育てた。でも、二人とも親に背を向けるようになった。
 ——その結果、高齢独居となった。「次男は2度目の離婚で娘と別れたことが辛かったのかもしれない。何故なのか、いまだによく分からない…」と静かに首を振る。
 「皆さん、子どもがよくしてくれないのは教育だっていうけど、わしはその人間の考えだと思う」。きよこさんの兄弟が、それぞれ異なる人生を歩んだように、息子たちも一個の人格を持った存在だ。母と子の間にある溝は深いとしても、「何があっても新しく生きていかなきゃ」と山下さんは常に前を向いている。

初めての帰郷

 友人に録画してもらった50枚のDVD『二人のビッグショー』が、山下さんの宝物だ。曲が流れ出すと、「懐かしいねえ、いいねえ」と映像に釘付けになる。
 今から約20年前、当時日本にいた次男の勧めで、夫と二人で東京にデカセギに行った。5歳で渡伯して以来、初めて踏んだ祖国の土地だった。
 「デカセギのおかげでやっと日本に帰れた。でも、今もお金があれば帰りたいよ」。そう言いながら写真帳を繰る山下さんの顔は、懐古の情に溢れる。
 5歳で日本を離れたが、両親は仕事に明け暮れ日本の思い出話の一つも聞かせてくれなかった。「日本は何を見ても珍しいし、きれいだし、みな親切だった。ほんとに日本人に生まれてよかったと思った」。見るもの聞くもの全てが新鮮で、「あの時の感動は生涯忘れられない」と心に刻む。
 仕事は東京のオフィスでの清掃業だ。「『ブラジルから来たから大したことない』って言われないように頑張ったのよ」。懸命に仕事に励む山下さんを同僚は温かく迎え、良い友達がたくさん出来た。「お世話になった人を忘れちゃいけない」と、今も友情を育み続けている。

確かに神様の力がある

 「わし一人で誰にも頼る人いないけど、神様が見てくれてると思う。確かに神様の力があると、一人になって思うようになった」。そう山下さんは、晴れやかな表情で語る。
 特定の宗教を信仰しているわけではない。「それより、ありがたく思う気持ちの方が大事」と、毎朝目が覚めると「元気でありがとうございます」と感謝を口にする。「食事も嫌々食べてる人が多いけど、何でもありがたく食べたら美味しいし、もっと体に栄養になると思う」。そのおかげか、今まで大病一つせず生きてきた。
 「裕福な暮らしをする人はたくさんいるけど、これがわしの人生。好きな時に食べて好きな時に寝る。わしみたいに幸せな人いないよ」と繰り返す。『無いものに不平を言わず、あるものに感謝して生きる』。それが、長い人生の中で見出した幸福への道を示す鍵のようだ。「もう思い残すことはない」。そう山下さんは言い切り、屈託のない笑顔を浮かべた。


仕事一筋で生涯独身=ヴィダはトロッカ=池尻としこさん(75、二世)

 「仕事一筋だった」という池尻さんは、生涯独身を通した。「人生はトロッカ(交換)。隣人を手助けすれば、自分も何かを受け取れる。でも、見返りを期待しちゃいけない。大事なのは与えること」と、60歳で教師を定年退職後も、サンタクルス病院や希望の家のボランティアとしてバザーやイベント準備に奔走する。
 「グループの中にいたら新しいことを学べて頭にいいし、友達もできる。だからいつも何かすることを探しているの」と、ボランティアのない日も援協のストレッチ教室に参加したり、友人が主宰する編み物教室を手伝ったり、国内外へのツアーに参加したりと忙しい。「鏡を見て『今日も綺麗』と思うのも大事」と、身だしなみにも気をつける。
 ミランドポリス市に住む長男家族と折に触れて集まっては、皆でシュラスコなど食事を楽しむことも幸せな日常の一こまだ。「甥っ子に会うのも楽しみ。子どもや若い人と接すると、新鮮さをもらえるから」と言う。
 今年の正月も60人以上が一堂に会し、新年を祝う予定だ。池尻さんは「とっても賑やかよ。寂しいと思う暇もないわ」と充実した表情で語った。


旅行でブラジル全土訪問=悠々自適の独身生活=小山徳さん(73、長野)=「自分の心の赴くままに生きる」

 「ブラジル全州に一度は足を踏み入れた」と言う旅行好きの小山さんは、「家庭を持ちたい願望もなかったし、一人だったら旅行に行こうと思った時にさっと行ける」と悠々自適の独身生活を満喫している。
 県連主催のふるさと巡りには毎年、「人のあまり行かない所にいけるから」と年に2回は博物研究会主催の旅行に参加する。集まりに参加するのは、社交目的ではなく自分の興味・関心を満たすためだ。
 人付き合いでカッカすることはほとんどない。「昔は頑固だったけど、今はどうもならん時は、諦めることの方が多い。イライラしとってもしゃあないもんね」と言う。
 家では旅行で撮影したビデオ編集や写真整理、読書にパソコンいじり、電気製品の回路作りで時間をすごす。食事はほとんど外食だが、大病したことはない。
 南米産業開発青年隊8期として1962年に渡伯し、70年代以降、当時は最新技術だったマイクロウェーブ送信の中継施設建設に携わった。戦後移住の特徴である単身の技術移民だ。だから伯国には兄弟も親族もおらず、まさに〃天涯孤独〃。しかし小山さんは「一人でも寂しいと思うことはあまりない」と常に飄々としている。自分の心の赴くままに生きる「自分勝手な生き方」を、これからも続けていく。


ラジオ体操20年=一番の楽しみは読書=森トシ子さん(89、岐阜)=「ラジオ体操と邦字紙が毎日の日課」

 「体を動かすのが好き。一生動かしてきたもの」と言う森さんは、毎朝のラジオ体操と、邦字紙を隅々まで読むことが、欠かせない日々の日課だ。夫は早世し、その後10年一緒に住んだ姑も亡くなった。以来、一人暮らしを始めてから、もう20年近くになる。
 渡伯後わずか1年で母が逝去した。スザノの福博村で百姓をしていた父の手伝いをしながら、12歳から炊事、4人の妹弟のお守りと母親代わりをしてきた。
 「泣きながら『学校に行きたい』って父に頼んだけど、『お前が働いてくれんと働けない』と言われた。苦労だけはさしてもらったです」としみじみ来し方を振り返る。
 働きながらも、わずかな時間を見つけては好きな本を読み続け、新聞を読めるまでの日本語力を身につけた。「どんな本でもいい。頭に残らんでもいいから本が読みたい」と、今も日本語読書は最大の楽しみだ。
 終戦後は子供の教育のために出聖、その甲斐もあって弟2人、子ども3人は医科大学に入学した。トシ子さんは「何もせんでおったらあかんでしょうね。仕事取られてボーっとしちゃう人もおるからね」と70歳頃まで野菜を作り、セアザに出荷し生計を立てていた。
 しかし強盗に押し入られて以来、「そんな場所に置いとくのは自分たちの恥だ」と子どもたちが自らの住まいの近くに今の住居を購入した。「今は悪さをする人もいなくて安心。怒ることもないし毎日穏やか」。気ままな一人暮らしだが、子どもたちの家を訪れては孫やひ孫の成長を見守り、静かに余生を送っている。


クヨクヨ悩まず長生きを=斉藤武兵衛さん(88、長野)=「人は自分の心の鏡」

 25年前に妻をガンで亡くして以来、20年近く一人で暮らす。「長生きの秘訣は悩みをもたないこと。あっても気にしないこと」と大らかに笑う斉藤さんは、「心配ごとがある人は、健康がやられちゃう。昔っからそういうことは決まってる」と断言する。
 25年前にPL教団に入団し、「人は自分の心の鏡」だと学んだ。家庭に不和があれば、まずは自分に悪い所がないか反省し、相手に悪い所があると思えば正直に伝えることで、良い夫婦関係を保つことができたという。「自分がニコニコしたら、相手もニコニコするでしょ」。
 大学卒業まで一緒に住んだ子どもたちも独立し、休暇に帰郷するとお土産や小遣いを置いていく。「そういうヴィダだから長生きするのよ」と満足気に語る。
 朗らかですらりと背が高い斉藤さんは、女性にも人気のようだ。毎週通う老ク連の社交ダンス教室では、20歳も若い女性が親しげに寄ってくる。「彼女ですか」と聞くと、「——になるまであと一歩」と二人で仲睦まじげに顔を見合わせた。


夫いない寂しさ振り切り前を向いて生きる=匿名(83、広島)=「子どもの所にひょこひょこ入っていったら、窮屈よ」

 「一人がいいよ。自由だもの」。ハキハキした話し方に整った身なりのAさんは、80代には見えない若々しい雰囲気をかもし出す戦後移民だ。
 子どもは同居を勧めるが、「子どもの所にひょこひょこ入っていったら、窮屈よ。『動けなくなるまで一人でいさせて頂戴』と言ってあるの」と言う。
 9年前に亡くなった夫を今も想い続け、「主人のいない寂しさは口では言われません」と静かに中空を見つめる。「寂しくておられない」と日本にデカセギに行き、ショッピング・センターで掃除や惣菜作りを手伝い、身を切られるような辛さを紛らわした。「3、4年経つ頃にようやく落ち着いたけど、寂しさは変わらんよ」と心中を明かす。
 今は「毎日泣いとるわけには行かない。クヨクヨしたってしょうがない」と顔を上げ、カラオケやダンスなど習い事に通う。「こういう所に来る人は心がキレイ。平均して朗らかでクシャクシャしない。経済的にも楽なのよ」。ダンスに訪れた友人たちとの再会を喜ぶAさんの表情は明るかった。


頭を使い、よく歩く=若者との付き合い大事に=山田ヒナ子さん(94、北海道)=「健康の秘訣は、歩くこと、頭を使うこと、胸を張って姿勢を正すこと」

 ピンと伸びた背中にきびきびした動作。「健康の秘訣は、できるだけ歩くこと、できるだけ頭を使うこと、胸を張って姿勢を正すこと」と張りのある声で語る山田さんは、94歳という年を疑うほどエネルギッシュだ。
 「家でじっとしているより出かける方がいい」と言い、地元のサント・アマーロ区でも婦人会に老人会二つ、寺の役員にカラオケと、ほぼ毎日スケジュールは一杯だ。
 絵を描いたり小物を作ったり手を動かすのが大好きで、手芸品を作っては人にプレゼントする。「なるべく若い人と話をすることが大事。年寄りは薬の話ばっかりだから」と若者のエネルギーで気持ちも一新する。「食生活はコミーダ・デ・ポブリ」と謙遜するが、要は「野菜中心の料理を好きなように作って食べている」と健康食を心がけている。
 夫は15年前に逝去し、形としては一人暮らしだが、すぐ隣の家には娘が住んでいる。「『今日は何にもないよー』と言うと娘が持って来てくれる。結構なヴィダですよ」と言い、まだ取材したりない記者を残してセカセカと次の目的地へ向かった。


殻を破って人との交流を=思い悩まず今を楽しもう=滝ヶ平功(77、鹿児島)=「一番大事なのは、直接面と向かって人と話すこと」

 滝ヶ平さんは、日本でも「独居老人」「孤独死」などが社会問題化していることを挙げ、「日本人は苦しい時に打ち明けるのを恥と思う人が多いから、閉じこもると思う。その殻を破らないと駄目」と語る。
 元々人と接触するのは好きではなかった滝ヶ平さんだが、「8年前に妻が亡くなってから、友人の紹介で色々やってるうちに人生が変わってきた」と振り返る。
 民謡やマレット・ゴルフ、日本舞踊など習い事を始める中で友人がたくさんでき、次第に「人間、人と接触しなくなったら終わり。一番大事なのは、直接面と向かって人と話すこと」と思うようになった。今は、習い事の集まりに参加し、ざっくばらんな付き合いをするのが楽しみだ。
 測量士だったため出張が多く、15年間日本に一人でデカセギにも行った。「これも健康のため」と一人で家事炊事も苦もなくこなす。「人間いくら気にしても、死ぬときは死ぬ。健康保険にも入っていない」と将来への不安はないという。大切なのは「今を楽しむことだ」と考えている。

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