第2の子供移民〜その夢と現実=日伯教育矛盾の狭間で=第4回=「何とかなる」と高校中退=工場労働で後悔の日々も

ニッケイ新聞 2013年1月15日付け

 三宅ミドリさん(22、四世)は1996年、6歳の時に訪日し、先にデカセギに行っていた両親と合流した。家庭内もポ語会話が基本で、日本語を覚えるのには苦労したという。
 通学した愛知県豊橋市の公立小学校にはブラジル人の職員がおり、国語の科目の時間のみ日本語が得意でない外国人の生徒を対象に特別教室があった。
 「全校でブラジル人を中心に外国人生徒が15人くらい。ペルー人なんかもいた。居心地は良かったけど、日本語が上手くなるにつれて行かなくなった」。その理由を尋ねると「日本人の友達もできたから」と照れくさそうに笑う。
 それでも中学校への入学が目前に迫ってくると、ブラジル人学校への入学を希望するようになった。「特別授業がない国語以外の科目に段々ついていけなくなった。特に算数が難しかった」。しかし、金銭的な都合により断念。一般の公立中学校に進学する。
 人格形成は発達心理学や教育学の一分野といわれるが、その一つにシュタイナー教育理論がある。《第1段階》7〜14歳は「感情が成熟していく時期」で、いわば感情や情緒を決定する時期だ。小学校と重なる。
 さらに《第2段階》として中学高校以上となる14〜21歳は、論理的な思考能力や、理性的かつ抽象的な推論能力を発達させる重要な時期なのだとしている。
 第1段階がしっかりしていないと第2段階へは容易には進めない。さらにこの両方が揃わないと、大人になってから必要となる将来設計・生涯設計をするような現実的思考ができないことがあるようだ。
 デカセギ子弟の場合、日本の中学はなんとかなっても、高校で論理的な思考能力が求められる学科で授業についていけず、落ちこぼれるバターンがままある。これは、家庭環境の問題や、2言語子弟に関する親や教育関係者の理解不足にも関係があるようだ。
 三宅さんによれば、日系友人のうち半分近くは中学校入学時にブラジル人学校に転校し、学校に占める外国籍生徒の割合も大きく減ったという。
 「ブラジル人の数も減って、わからないことがあっても、周りに聞くことが恥ずかしいと思うようになった。内容は難しくなったのにそんな風だから、勉強はあまり得意ではなかった」
 それでも周りの日本人の友人に促されるような形で高校への進学を希望した。ブラジル人専門の塾にも通い、何とか市立高校へ合格。「一番低い学校だったけど一生懸命頑張って入れたから本当に嬉しかった。人から認められるってやっぱり特別なこと」と振り返る。
 それにも関わらず、高校2年の春に学校を中退した。入学後にアルバイトを始めたことがきっかけだった。「高校の勉強は難しくてついて行けなかったし、自由に使えるお金をもっと稼ぎたかった」。両親には強く反対されたが「何とかなる」と楽観的な姿勢が変わることはなかった。
 高校を辞めてからは地元の自動車部品工場で働き始めた。朝7時から午後5時までみっちりと働く毎日。時には深夜近くまで残業する日もあった。ブラジル人の多い職場だったため苦痛ばかりではなかったが、退学に反対だった両親との約束で給料の7割は家に入れなければならなかった。
 「そんなに自分のお金は増えなくて、何で学校辞めたんだろう、何のために働いているんだろうって後悔もしました」
 幼少時の家庭環境など、いろいろな原因が積み重なって学校を落ちこぼれていった時、誰の責任といえるのか——。責任の所在がどこにあっても、本人が自分の一生をかけてそれを償っていくしかない。(酒井大二郎記者)

写真=「社会人として働くっていうことの厳しさは工場に入るまでわからなかった」と呟いた三宅さん