第2の子供移民〜その夢と現実=日伯教育矛盾の狭間で=第10回=同じ辛さを共有する仲間=ネット上で8百人が集い

ニッケイ新聞 2013年1月23日付け

 「自分と同じような境遇で悩んでいる人たちが、ここで交流して仲良くなれれば、なんて思って軽い気持ちで作った」と古川ゆみさん(18、三世)は話す。その時は、特に深い意味や考えはなかった。
 12年1月の立ち上げから徐々に登録者数が増え始め、現在は日本に滞在経験のある日系人はもとより、日本語を勉強する非日系や日本からの留学生、さらには若手日系政治家の名前も見られるなど、800人近くが登録する大所帯となった。
 全伯に散らばる帰伯青年が、気軽にお互いの気持ちを吐露し、出会う場はネット上だった。ページ概要を伝える説明書きには次のようにある。「日本語で会話したり、文化について交流出来ればいいなと思い作成しました。サンパウロ市を中心にオフ会なども開催しております。興味のある方は気軽にご参加ください」
 「オフ会」とは、普段はネットを通してメッセージをやり取りするだけの会員同士が、どこかに集まって実際に顔を合わせる場を持つことだ。昨年4月、サンパウロ市で初めて開かれた会には20人近くが参加した。過半数が古川さんと同様に日本から帰国したデカセギ子弟だったという。
 中々ポ語に慣れないことに対する焦り、難解な学校の授業、日本とは全く異なる文化や習慣——抱える悩みは誰もが同じだった。
 古川さんは「私がブラジルに来たばかりの頃は本当に苦しくて、毎日毎日辛いことばかりでした。『何で自分だけ』って思ったこともあったけど、同じ境遇の人がこんなにいるんだってわかったことで、もっと頑張らなくちゃって思えるようになった」と出席した感想を語る。
 オフ会をきっかけに、それぞれに参加者同士で継続的な交流を持つようになった者もいる。「日本語で話したいけど機会がない人ばかり。こういう交流の場は、皆にとっても貴重なんじゃないのかなと思います」
 そう彼女が話す通り、ネット上のコミュニティが土台となり、新たな現実世界のコミュニティ形成の基盤としての役割を果たしているようだ。
 今はこのような小さな形だとしても、将来何らかの団体や動きに発展していく予感を感じさせる流れといえそうだ。
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 今まで見てきたような日本に郷愁を抱く〃第2の子供移民〃たちには、再訪日を希望する人も多い。実際にそうできるかどうかは、日本の景気と共に、政治や法律の動向にも大きく左右される。
 在日ブラジル人社会の動向に詳しい武蔵大学教授のアンジェロ・イシさん(45、三世)は「本当かどうか知らないが」と前置きしながら、「帰国支援を受けて帰伯した人たちの中で、再入国解禁を求める署名運動している人達がいるという噂も聞いた」という。
 帰国支援金を受け取って帰ってきたデカセギに対し、「3年を目処に」と再び入国できるように検討すると、河村建夫官房長官(09年当時)は公言した。12年にその「目処」は過ぎたが、いまだに入国解禁の気配はない。それに対する署名運動だという。
 イシさんは「それどころか、入国就労条件を厳しくする方向で法改正が検討されている」と指摘する。日ポ両語ともが中途半端な状態に陥ってしまった「子供移民」が相当数いることは繰り返すまでもない。もし、入国要件が厳格化されたら彼らはどうなるのだろう。
 いったん帰伯してしまったものは、法律上の外堀を埋められ、簡単には日本へ戻れない状態になりつつあるのか。(酒井大二郎記者)

写真=古川さんが立ち上げた「Japanese Comunications」