カンポス・ド・ジョルドン=カーニバルで沖縄二世をテーマに=故大屋カルロス市議称え=市への貢献に最大の評価=日系個人としては初か

ニッケイ新聞 2013年2月8日

 サンパウロ州カンポス・ド・ジョルドン市モンテ・カルロ地区のサンバチーム「ヴァイヴァイ」(ルイス・エンリッケ代表)が日系二世で市議を二期8年務めた故・大屋カルロス登さんをテーマに取り上げ「バンザイ 大屋カルロス、偉大な日系人、ジョルダン市の遺産」をテーマ曲に約百人がジャヌアリオ・ミラグリア大通りを行進する。日本移民や日系を取り上げることは各地であるが、日系個人を取り上げるのは初と見られる。友人の安藤光明さん(71、秋田)は「彼の貢献が認められ、友人の一人として誇りに思う」と喜びを語った。

 1929年、プロミッソン市で生まれた。42年から10年間、ポンペイア、インダイアツーバ市で農業に携わったが結核を病み、療養所のある同市に移った。両親は沖縄出身で1918年に渡伯している。
 健康を取り戻すと、「ここの気候と医者のおかげで生き延びることができた」と腰を据え、伝統工芸品店と本屋を経営する傍ら、複数の福祉、スポーツ団体の役員を務め、市民から慕われていた。
 援協傘下「さくらホーム」では経営委員として、老朽化した施設のリフォームや、施設前の道路舗装のため市との交渉、裏山の土砂崩れを防ぐため同市文協の青年らと1千本の植林などを行った。
 小学校卒という学歴ながら独学で日ポ両語を学び、89年には市会議員に当選。計2期8年を務めている。
 肺炎のため逝去した2011年6月15日、市の情報サイト『Guia Campos』は「市民の模範、大屋カルロス氏が亡くなった」と報じた。
 同年、同チームから「カーニバルで顕彰したい」との申し出があったが、「亡くなったばかりで、そういう気持ちになれなかった」と語る娘のスエミさんも参加する。
 「本当に感激感謝している。当日は私も家族10人を連れ行進する」と話している。
 カーニバルスタートは12日の午前0時。芸者や侍も登場し、一部の踊り子は大屋さんの写真をプリントした衣装で踊る。