老舗印刷トッパン閉鎖へ=コロニア本一千冊以上刊行=奥山社長「あと数カ月で」=宮川さん一部引継ぎ独立

ニッケイ新聞 2013年4月6日

 1968年に創業した老舗中の老舗、トッパンプレス印刷出版(サンパウロ市カンブシ区)が半世紀近い歴史に幕を引くことになる。創業以来、文協の『コロニア』誌始め、人文研の学術出版物、県人会や日系団体の記念誌などを計1千册以上刊行してきた日本語中心の印刷会社としては最古、同種会社の一世社長としても最後の存在だった。奥山社長はニッケイ新聞の取材に対し、「数カ月かかるだろうが、すでに引き受けている仕事を責任持ってお届けしたら、会社としては営業を辞めることになる」と語った。
 創業者の奥山啓次さん(76、山形)は1957年10月に渡伯し、最初7年間ほど奥地で農業に従事した後、65年に出聖した。森越印刷や実業のブラジル社、パウリスタ美術印刷などで印刷外交員として技術を覚え、68年に独立してトッパンを創業した。
 最初から和文タイプした原稿を版下にして活版印刷した。「活版印刷 で始めたから、その種類である凸版にした」と社名の由来を説明する。「70年代は写真植字の時代、80年代はワープロ導入、90年代からはコンピュータの時代になった。本当に技術の進歩は目まぐるしかった」と振り返る。
 奥山さんは「コロニアの印刷業界の往時は70年代だった」と言い、日本語中心の印刷会社だけで8社以上もひしめいていた時代だった。同社はそんな激戦を勝ち残り、80年頃には製版会社と印刷会社合わせて70人を雇うほどの規模にまで成長した。
 「当時はカレンダーなどの商業印刷が多かった」。ところが90年代にはコチア産組などの得意先が次々になくなる中で、徐々に規模を縮小した。特にパソコンが普及した95年以降は、自宅や会社でレイアウト編集が可能になり、さらに卓上印刷が増えた。
 従来は日本語によるレイアウト編集から印刷・製本までの一貫作業をトッパンのような会社が請け負った。今ではパソコン化が進み、編集事務所が請負って写真形式のデータに変換し、一般の印刷所に持ち込むことが多くなり、日本語印刷を得意とするメリットが薄れた。
 「70年代までは戦前移民の印刷所が多かった。その後、二世社長が圧倒的に増え、今じゃあ一世は僕だけ」と奥山社長。森越印刷、パウロス美術印刷、パナ印刷出版などみな二、三世経営者の時代だ。一世の高齢化と共に日本語市場自体が縮小化した。これも時代の流れなのだろうか…。
 「我々はあくまで〃縁の下の力持ち〃的存在。コロニアの役に立とうと思ってやってきたが、もう76歳」。奥山社長は日本語出版にかける熱い想いをそう語った。会社閉鎖後は、社員の宮川信之さん(49、神奈川)が一部の編集の仕事を引き継いで独立する形になる予定。詳細は同社(11・3209・5522)まで問い合わせを。