連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第54回

ニッケイ新聞 2013年4月16日

 しかし、彼女は東大ではなく早稲田を受験することに決めた。授業料は全額免除の大隈奨学金を取ればいいと思った。早稲田に進もうと思ったもう一つの理由は、韓国文化研究会、朝鮮統一研究会の二つのサークルが存在したからだ。
 幸代は大学に進んだ在日の先輩からそのことを聞かされていた。韓国文化研究会は韓国居留民団に所属する子弟が多く参加していた。もう一方は共和国を支持する在日朝鮮人の二世、三世らが所属していた。早稲田に進もうと思ったのは、そこに行けば同じ悩みを抱えている仲間に会える気がしたからだ。
 早稲田大学の文学部には難なく合格した。幸代は大隈奨学金も取り付けて、授業料の問題は解決できた。生活費は家庭教師をして稼ぐことにした。学生課にはアルバイトの求人表が張り出された。文学部に上位の成績で入学し、大隈奨学金を取った彼女には優先的にアルバイトが回された。
 文学部の一、二年は一般教養課程で、専攻課程に分かれるのは三年からだった。教養課程のクラス編成は第二外国語によって分けられた。幸代はロシア語を選んだ。クラス担任は柳原という四十代前半の女性の助教授だった。
 最初の講義は学生らの自己紹介に当てられた。幸代はこの時思いもよらぬ人間と再会した。幸代は自分の出生をそのまま口にした。民族的な誇りをもっているとか、在日として民族的自覚に目覚めてそうしたわけではない。在日の多くの友人たちは朝鮮名の他に通名を持っていた。幸代は金子を名乗っていた。日本名を名乗ることは差別から身を守るささやかな防衛手段だったが、幸代にとっても、多くの在日にとっても、身を守るほどの手段にはなり得ていなかった。幸代は日本名を使おうと差別される現実をいやというほど体験してきた。
 名前などどうでもいいことだった。金子であろうと、金であろうと差別する人間にとってはそんなことは関係ないのだ。差別されるのは幸代に朝鮮民族の血が流れているからだ。そのこと以外に差別される理由は見当らなかった。小学校のときだったと思う。幸代は授業の時間に〈コタンの口笛〉というドラマを見た。ドラマの名前もストーリーもうろ覚えだが、あるシーンを忘れられない。
 体中の血が逆流するような感覚に襲われ、教室から飛び出し、家に逃げ帰りたい衝動にかられた。ある男の子が皆から苛めにあっていた。「アイヌ」とはやしたてられていた。そこへ男の子の姉が現われる。
「アイヌのどこが悪いの」
 姉は今にも泣きそうな弟を悪童から助けだし、彼らを問い詰める。姉の怒りに満ちた表情に、悪童たちは一瞬、怯む。しかし、ガキ大将らしき男の子が出てきてこう言い放つ。
「違うのさ、おまえらとおれたちは血が違うのさ」
 すると姉はナイフを取り出して、自分の手首を切る。一筋の血が滲みだす。姉はその腕を見せながら言った。
「どんな色の血が出るかおまえも切ってみろ」
 血が異なるなどというのは日本人が勝手に抱いている幻想なのだ。しかし、その幻想を打ち砕くのはおよそ不可能なことのように幸代には思えた。
 実名を敢えて名乗るのは、日本名を名乗り、後で本名を公表した時の戸惑いに満ちた日本人の視線に耐えられないからだ。幸代が在日朝鮮人だと告白すると、だれもが出生の秘密を知ったかのように、一瞬うろたえる。そして申し訳なそうな表情でこういうのだ。
「私は差別なんかしない。民族差別があっていいはずがない」
 幸代が在日朝鮮人だと知り、差別意識をあらわにして付き合いを断ったものはだれ一人としていない。しかし、理解ある言葉の背後に憐愍と同情が潜んでいることにだれも気づかない。幸代はそんな視線で見られるよりも聞き流してもらったほうがどんなに楽だろうかと思った。後で自分の本名を名乗ったばかりに、理解に満ちあふれた日本人から注がれる視線にどれほど困惑したことか。

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