ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(10)

ニッケイ新聞 2013年5月1日

 現在では想像もおぼつかない経緯を経て、将来のキノコ村建設の礎となる、台湾からの労働力と技術移転の構想は、公的機関からの何等の干渉も支援も受ける事も無く、予想外の短期間で円滑に、瓜生農場に隣接したモジ市郊外のボツジュル地区に誕生した。
 今、回想するに例え30家族に過ぎない植民地ではあるが、もしも公的機関による植民地造成となると、先ず現地調査、専門家派遣、FEASIBLE STUDYとプロジェクト 作成、関係官庁に拠る植民地造成の是非検討、予算審議などなど、長い年月とそれ相当の公的資金を要するものと思われる。
 然しずぶの素人の我々はサンパウロやサントス迄のバス代と、台湾との郵便代程度の自弁の経費で短期間で、将来ブラジルのキノコ栽培のメッカとなるべくキノコ村の造成が曲がりなりにも成就させる事が出来た。
 今日とは時限の異る良き時代に恵まれ、法規制が不完全な社会的背景が有ったからこそ、無謀とも思われる此の様な構想が成就出来たと回顧する。私のブラジル生活50年に対峙し取り組んだ諸々の社会貢献では最初の快挙と自負している。今は音信が絶えている、黄キロウも、世界のどこかで同じ想いで居るに違い無い。
 その後台湾系マッシュルーム栽培者の多くは、市場の需要や嗜好の変遷、新品種の導入により、アガリクス、椎茸、シメジ、エリンギ、キクラゲ等のキノコ栽培品種を 臨機応変に対応して今日に至っている。
 しかし後述するが、年商600億円にも達したアガリクス茸業界を、日本政府と医薬業界との卑劣な癒着とも思われる、アガリクスを発癌性物質として2006年に公表した、余りにも唐突な風評被害によりキノコ村は壊滅寸前に瀕した。
 即ち、当キノコ村での栽培の主体は、マッシュルームからアガリクス、そして今回のアガリクスに対する椿事により、再度マッシュルームへと還元せざるを得ない不測の事態に遭遇した。然し如何なる逆境に遭ってもひるま無い台湾人気質と底力、そして強靭な絆での相互扶助の国民性により克服し今日の生産体制を再興させた。
 1960年代初頭にゼロからスタートしたマッシュルームの生産は、約半世紀を経た今日では飛躍的成長を遂げたが、現在我々が最も留意すべき着眼点は、ブラジルのキノコ類の総生産量は、数字の上では増えているが、これは栽培施設の拡大による菌床面積の増加に伴う自然増によるもので、単位菌床面積当りの収量は、劣化の一途を辿っている。
 かかる生産性衰退の要因の究明と対策は、我々が50年間に蓄積した栽培技術を基にした試行錯誤の範疇では、最早生産性の向上は愚か復元さえも覚束ないのではと危惧している。此の機に菌類、就中キノコ栽培に関する高度な技術を有する、日本の産学官との交流を密接にする機会を、JICA等の公的機関を介して求めるべきである。
 更には日本からキノコ関連企業をブラジルに誘致し、キノコ栽培者への技術導入のパイプラインとして、キノコの生産性の復元と向上を計り、強いてはブラジルの国情に応じたキノコに付加価値と市場性をもたらし、収益増大を計る事は必要である。

《2005年の統計に拠る各国のマッシュルーム生産量概算 単位は万トン/年》

 アメリカ=37、オランダ=25、フランス=17、スペイン=17、ポーランド=14、イギリス=8、 ドイツ=7、オーストラリア=6、日本=4、中国=2、ニュージランド=1、ブラジル=0・45、ポルトガル=0・1、ギリシャ=0・05。
 中国のキノコ類の年間総生産量は約1700万トンと驚異的な生産量である。然し中国国内でのマッシュルームの消費は微々たるもので、生産したマッシュルームの殆どはヨーロッパ向けに輸出されている。時折供給過剰となりブラジル市場に流れ込み、市価を暴落させている。此れ等中国産加工マッシュルームに混入されている肥料、農薬、保存剤の残留化学物質が分析されて、如何なる評価を受けているのか、殆ど関心を持たれずに食されている。恐るべき事である。

《マッシュルーム栽培材料費 2008年頃の平均的な参考資料 単位は レアル》

稲藁=10kg/束が2・5、トラック1台500束で1250。バカソ=トラック1台10トンで900?1000。種菌=6/kg、10kgの袋詰め菌床に約150g植菌。人件費=機械力導入状況により大差有り。(つづく)