ユタ——混交する神々=移民社会の精神世界=(6)=県系人の不思議な体験談=OKINAWA文化遺産

ニッケイ新聞 2013年6月15日

 協力者探しは難航したが、幸いにもユタと会った体験を語ってもよいという人物に出会えた。沖縄系二世の男性Aさん(85)だ。
 3月中旬、本紙ビル地下にあった喫茶店で待ち合わせた。Aさんは目と足が少し不自由な様子だったが、記憶は細部に渡るまで鮮明だった。
 1991年、妻が亡くなった時のことだという。「2、3カ月後から毎晩のように老婦が泣く夢を見るようになった。『何かの意味があるに違いない』と思って解釈できる人を探していたら、『立派な人がいるぞ』と知り合いがある女性を紹介してくれた」。彼女はヴィラ・カロン区で活動していた一世のユタだった。
 その自宅を訪れ、向かい合って座ったAさんを見るやいなや、ユタは「ポロポロ涙を流して泣き始めた」。戸惑うAさんに対し、彼女は涙で机をぬらしながら「あんたは私が再婚しろと言うのに、聞かないね。あんた一人が入れたお茶は寂しくて飲めないよ」と嘆くように言った。
 「お茶」と言うのは、仏壇への供え物のことで、声の主は母だと直感した。彼は「母さんですか」と尋ねたが、女性はその質問には答えずに「あんたの妻はもう(この世に)帰って来れない。代わりの伴侶を探しなさい」と繰り返すばかりだった。
 帰宅後、半信半疑ながらも仏壇の前で手を合わせ、「いい人がいたらお母さんの言う通りにします」と語りかけた。すると不思議なことに、その夜から夢は止んだ。そして、妻の死から約1年半がたった頃、新たな女性と出会い、結婚した。
 Aさんは3時間に渡り、幾つものそんな不思議体験を詳細に語った。彼は、こうした非日常的体験を受け入れるのにさほど抵抗がないように見えたが、それでも「ユタは信じきることが出来ない」のが正直な気持ちだとも明かした。
 彼の父親もユタは迷信として取り合わず、母親は信じていながらも、周りの目を気にして相談に行こうとはしなかったという。取材後、彼は「もっと協力者を探してあげよう」と県人会関係者や知り合いの県系人に呼びかけたが、「そんな話が新聞に出たら、お前にとっても県人会にとっても恥になる」と大反対に遭った。
 「学歴が高い人ほど、ユタは迷信だと思っているみたいだった」。科学が信奉される現代においては、「迷信」を信じるのは無知の証拠とみなされる。ユタも「迷信」という烙印を押されたのだ。
 民族学者桜井徳太郎氏は「ユタ信仰は迷信だという観念は沖縄の教育者や知識人の間に一般化しており、公式の場では穢らわしい、はしたないと軽蔑して口にも出さない」と述べている(ウィキペディア「ユタ」より)。
 しかし、「解決し得ない問題につきあたったとき、その最終的決断を下すきっかけをユタの吉凶判断に求めようとする傾向」は健在で、表向きには「迷信」と敬遠しつつも、体裁を重んじる男性に代わり、女性が一家の代表としてユタのもとへ赴くことがあるという。
 Aさんの両親の場合はまさにそうだった。当地でも多くの人がユタを頼りながら、その事実を伏せてきたようだ。
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 今もなお、同協会が何十人もの県系人に求められ、存続しているのはなぜなのか。それは、ユタが沖縄祖先崇拝の伝統を守る砦でもあり、人知の及ばない問題にある程度納得できる答えを出してきたからだろう。半世紀に渡る彼女らの活動は、当地の沖縄系の精神文化継承において少なからず影響を及ぼしてきたはずだ。
 母県と異なる当地のユタの歩みはすでに、ブラジル文化を孕み始めた貴重な移民史の一部だ。そんな彼女たちの存在自体が、多文化社会ブラジルに適応したOKINAWA文化遺産といえるだろう。(終り、児島阿佐美記者)

写真=礼拝に使われる、白布を張ったテーブル