ブラジル文学に登場する日系人像を探る 8—L・F・ヴェリッシモ『ジャパン・スケッチ』—過去と未来、同時進行する国=中田みちよ=第3回=夕食は小皿の〃祭典〃

ニッケイ新聞 2013年6月18日

 次は宮島の旅館に泊まった時の感想です。国際交流基金は日本文化に拘泥しますからね。一等地のハイクラスの宿泊施設を選択します。日本語教師連が宿泊した箱根のJICAの別荘でも料理はずいぶん豪華でしたね。私的旅行ではみんな懐を考えますからね、やはり、名所案内というのは公的機関がやらなければいけないことではありますね。
 『我々のホテルは旅館とよばれる日本式のもの。入り口で靴を脱がなければならない。つまり、不変の伝統の中に身をおくことになる。
 その一、キモノを着る。ホテルの従業員が着せてくれるのだが「パパさん」を連発。妻のルシアは一人で着ている。どうも、向こうのほうが文化度が高い。
 その二、当然だが、帰国してから見せようと写真を撮った。後々の嘲笑を回避するために破り捨てた。外国人には更なる試練。背もたれなるものだ。膝が曲げられないのだ。後で空腹に悩まされるとおどろかされても、膝を折って食べることなどできっこない。
 夕食は小さな入れ物や小皿の祭典。なんといえばいいのだろうか。皿に盛られた料理の繊細さ。その味。メヌーはなく、小皿は終わることなく出てくる。もう、終わりかなと思うころ、食卓の中央で湯気を立てていた茶瓶で煎じられたキノコが快く胃に収まり、気持ちよく消化されるころ、夕食は終わる。鏡を見なくても、あの「夕食」からこっち、幸せな「パパさん」がいるはずだ』
 実は私ももう膝を折れない。だから座敷は苦手です。日本の実弟が親族7人を那須温泉に招待してくれたことがありますが、あの、背もたれも、脚をぞろりと畳の上に投げ出すものには、なんとも、すわり心地が悪くて、何だかオットセイになったような気分でした。これはルイス・フェルナンドだって同じはず。彼は私より図体がオットセイに似てるんですからね。
 旅館の周囲を散策して帰ってくると、『食堂が寝室に変身してた』と驚いています。座敷は機能的ではあるんですが、寝室と食堂がきっちり分かれている外国人には違和感があるかも。私も「食べた場所で寝るの?」という感じがして、つくづく日本人でなくなったと思い知らされました。
 ついでにもうひとつ気がついたこと。スリッパ。これは以前、鬼怒川温泉に宿泊したとき、廊下からズーズーという音が響くんで、なんだろうと覗いてみると、湯からあがった客たちのスリッパを引きずる音だったんですね。それから靴をひきずって歩く人が目に付いてしようがなくなりました。リベルダーデ界隈に行くと眼に余るほどいるし、あれはパリの空港だったかな、若い人を含めて団体ツアーの全員がズーズーやっていて驚愕しました。歩き方でその人の日本人度を図ることができる気がします。
 歌舞伎についてはこんな風に書いています。
『二日ほど前に歌舞伎を観た。その感動はとても四つ五つの動作で語られるものではない。大体歌舞伎の所作はせいぜい一分。スペクタルは4時間だ。だからみんな弁当持参である。歌舞伎の魅力はその儀式のようなゆったりしたところにある。それぞれの見せ場がまるで急くのを惜しむように展開される。
 今、こうしてエアポートにいるが、ここは完全にスピーデイー化された日本である。ここもまた別の意味で儀式的である。ネクタイ男たちの画一化された動き。飛行機は予定通りに離発着するのに、いつも時計をのぞく灰色や紺色のこの軍団』
 朝のラッシュ時、駅の階段を下りてくる黒い軍団の勢い。恐怖を感じるほどでした。狭い日本にぎゅうぎゅう人が詰まっているのを実感する瞬間です。最近はどうなんでしょうか。間違いなく定刻に到着する交通手段に、いらいら時計を見る乗客。ブラジル的感覚では1分、2分、遅れってどうってこともないのに…それで豊かになれるわけでもない…イヤ、その蓄積の上に日本の繁栄があったのかも…でも張りすぎたゴムはぱちんと弾けないのか…マア、時間つぶしの堂々巡りです。(つづく)