連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第108回

ニッケイ新聞 2013年7月3日

「きれいな眺めだ」パウロが言った。
 叫子がフェジョンとサラダ、ブィフッエ(ステーキ)を次々に運んできた。絞ったばかりのオレンジジュースを三人のコップに注ぎ、叫子も座った。
「さあ、食べましょう」
 叫子が勧めると、パウロは紙包みを開いて「俺はこれを食べる」とパンを取り出した。バターがぬってあるだけで、ハムも肉も挟んでいない。
「パウロ、コーミ(食べなさい)。ヴォッセ・ノン・ゴースタ・デ・コミーダ・ブラジレイロ?(あなた、ブラジル食が嫌いなのかしら)」
「食べろよ。パンは夕方、食べればいいだろう」
 小宮も食事を勧めた。
「こんな豪華な昼食を食べると、明日から困るな」
 パウロはこう言いながら、皿にご飯を盛り、フェジョンをかけた。ブィフッエを一枚その上に置くと、あっという間にたいらげてしまった。小宮も叫子もまだ半分も食べていない。まるで何日も食事していないかのような食べ方だ。
「ポーソ・コメール・マイス?(もっといただいてもかまわないか)」
「クラーロ・キ・シン(もちろんよ)」
 パウロは同じようにご飯を盛り、その横にサラダを並べ、フェジョンをかけ、肉を置いた。その食欲に小宮は驚くばかりだった。
「いつも弁当はそのパンだけなのか」
 小宮が尋ねると、パウロは臆せずに「そうだ」と答えた。二十歳になったばかりで、しかも整備の仕事は重労働だ。パン一つでは足りるはずがない。パウロは小宮の質問の意味を察したのか、ジュースを飲みほすと言った。
「家が貧乏なのさ」
 冗談ではなさそうだ。
 パウロは叫子の作った料理を「ゴストーゾ」と何度も繰り返しながらたいらげた。叫子の味付けは小宮の口にもあったが、作る料理の量に驚かされることがしばしばあった。二人だけなのに、叫子は四、五人分くらいの分量を作ってしまうのだ。
「せっかく料理してもらったけどこんなには食べきれない」
 残った料理は翌日の昼食になる。
 高給を得ている小宮の家計を圧迫するほどではなかったが、何度も同じことを繰り返すのを疑問に思って尋ねた。
「結婚して食べきれないほどの料理を並べるのが私の夢だった」
 叫子が答えた。
 エリザベスサンダースホームで暮らしていた頃、沢田美喜が運営していたとはいえ戦後の混乱期だった。混血児に十分な食事が与えられていたわけではなかった。
「食べたいものをおなかいっぱいになるまで食べて、テーブルの上にまだ料理が残っていて、誰にも遠慮なく食事をするのが、私の夢だったのよ」
 サンダースホームでも食べるものを巡る争いがあったのだろう。小宮はそれ以上の詮索は止めた。
 その日の昼食はいつもよりさらに量は多かった。
 パウロは小宮から何を告げられるのか不安そうにしていたが、食事中はそんなことはすっかり忘れてしまったかのように食べ続けた。
「セニョーラ、おいしかったよ。もう食べることはできない」
 食事を終えると、やはり気になるのかパウロが尋ねた。
「それで話って何だ、シェッフェ」
 小宮とパウロはソファに座りなおした。
「パウロの仕事ぶりは私がいちばんわかっているつもりだが、竹沢さんからも何度も注意を受けている点は直さないとまずいぞ。伝えることはそれだけだ」
 パウロも小宮から注意されると思っていたらしく、大人しく頷きながら聞いていた。
「わかった。これからは気をつけるよ」
 小宮自身、何度も聞いているパウロの返事だった。
「皆は必ずメモを取るのに、何故パウロはメモしないんだ」
 少し苛立った様子で小宮が聞くと、パウロは視線を床に落とし、小宮と目を合わそうとしなかった。(つづく)

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