連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第113回

ニッケイ新聞 2013年7月11日

「ここから二時間もかかる田舎なんだ。週末はシェッフェのために使って……」
 パウロの言葉を制して、叫子が言った。パウロが家族に引き合わせたくないと思っているのは、小宮も感じていた。
「何をそんなに心配しているの?」
 パウロはソファに座りこみ、頭を抱え込んでしまった。
「何か問題でもあるのか?」
 小宮もパウロが嫌がる理由がわからずに尋ねた。
「どんなに俺の家がポーブレ(貧乏)でも驚かないか?」
「ノン・テン・プロブレマ、ヴーモス」
 叫子はまったく意に介さず、テーブルの上の荷物を車に積み込むようにパウロに言った。

 パウロの家はサンパウロの中心部から三十キロほど西に向かったオザスコ市のジャルジン・ピラチニンガにあった。車で走れば一時間程度の道のりだが、朝夕のラッシュ時にバス通勤すれば会社までは二時間はかかる距離だ。
 小宮が運転する車はカステロ・ブランコ街道に入ったが、十分も走らないうちに街道を外れジャルジン・ピラチニンガに入った。町の中心部を走り抜けると、舗装されていない道に変わり、赤い土埃が舞った。パウロの家は町の外れにあった。
 板を張り合わせたような家が十数軒、山の斜面に造られていた。ファベイラだとすぐわかった。車が来ることなどないのだろう。そうした家から子供が飛び出してきた。
 叫子は小宮よりブラジルの生活が長い。驚くこともなく、車から降りて荷物を取り出して、車の屋根の上に置いた。
 小宮は車から降りるのを躊躇っていた。
「シェッフェ、大丈夫。心配はいらない」
 パウロが驚いた表情を浮かべている小宮に言った。子供たちはどの子も裸足で、粗末な服を身にまとっていた。
「この車は俺のアミーゴのものだから、皆で見張っていてくれよ」
 パウロがこういうと、子供たちは「タ・ボン」と答えた。
 雨が降れば濁流が流れるような細い路地を数十メートル行ったところにパウロの家はあった。三人とも両手には食料を入れた袋が握られている。
 パウロが「シェゲイ(着いたぞ)」と大きな声で言うと、板を継ぎはぎして作ったドアが地面をこすりながら開いた。
 弟二人がドアの前に立ち、パウロを迎えた。入ったところが居間のようで、部屋の隅に古びたカラーテレビが置かれ、ソファに座っていた老人がゆっくりと立ち上がった。
「エントラ(入ってください)」
 パウロが部屋に入るように言った。
 部屋の真ん中にテーブルが置かれていた。そこに食料を置いた。
「ママイ、こちらがシェッフェの小宮、エスポーザの叫子だ」
 パウロが二人を紹介した。パウロの母親マリアは五十代半ばだろうか。黒人だが、顔に老人特有のシミが浮かんでいた。
 洗い物をしていたのか、手を拭きながら奥のキッチンから妹が出てきてパウロと抱きあった。
「妹のセシリアだ」
 弟二人はカルロスとグスターボだった。
「二人のことはパウロから聞いています。ホントによくしてくれて感謝しています」
 マリアが言った。
「どうぞ、座って」妹のセシリアがソファに座るように勧めた。
 マリアの隣に叫子と小宮が座った。ソファはいっぱいになり、パウロたちはテーブルの周りに置かれて椅子に座った。
 コロッケや餃子の匂いが部屋に充満した。
「これはコミーダ・ジャポネース?」末っ子のグスターボがくったくのない顔で聞いた。
「よくわかったわね」叫子が笑みを浮かべながら言った。
「セニョーラの料理の腕は最高だ」(つづく)

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